因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

第19回 明治大学シェイクスピアプロジェクト『夏の夜の夢』

2022-11-05 | 舞台
*原作 W.シェイクスピア 翻訳 コラプターズ(学生翻訳チーム)プロデューサー 金子真紘 演出 養父明音  
1,2,3,4,5,6,7,8)公式サイトはこちら 明治大学駿河台キャンパス・アカデミーコモン 6日まで
 昨夜の『二人の貴公子』に続いて、『夏の夜の夢』を観劇した。妖精パックが魔法を間違えたために起こる、二組の若い男女の恋の大混乱の顛末。いわばシェイクスピアのラブコメ決定版である。初めて本作を観たのは、確か東京女子大学のシェイクスピア研究会公演ではなかったか。女子大ゆえ、キャストは全員女性であった。そのあと夢中になったのは、出口典雄率いるシェイクスピアシアターだ。海外の劇団によるものや、柄本明演出の東京乾電池版もあった等々、思い出は尽きない。

 さまざまな座組による『夏の夜の夢』を体験してなお、今回のMSPの舞台は新鮮で楽しいものであった。このつぎはこうなると知っていることが観劇の妨げにならず、「さあ来るぞ来るぞ、あの場面が」と身を乗り出し、「やっぱりこう来たか!」と嬉しくなるのだ。残念だったのは、会場のアカデミーコモンが演劇上演専用のホールでないことも理由であろうが、女性キャストの高い声が聴きとりづらい場面が散見したところだ。MSPは圧倒的に女子が多く、配役面も含めて今後の課題であろう。

 二組の男女が舞台中を走り回る大騒動は、ややドタバタ調だが決して「痴情のもつれ」風の下品に陥らず、客席を大いに盛り上げる。ただ実を言うと、これが収まったところで、観る方もかなりのエネルギーを使っている。そのため職人たちの芝居の場面になると、どうしても疲れが出て、「この場面は必要なのだろうか?」と思うことさえあるのだが、今回は職人たちだけでなく、舞台の見物衆の様子を面白く観た。迷走の自覚のないまま驀進する職人たちを懸命に応援するだけでなく、シーシアスとヒポリタに至っては「何てばかばかしい」と言いながら芝居に引き込まれ、終いには「この者たちが気の毒になってきた」と泣き崩れるありさま。こちらのほうが客席の笑いを誘う。

 しかし『二人の貴公子』の複雑な味わいを経ての『夏夢』観劇は、これが最初の体験である。単に楽しんでめでたい大団円を喜ぶことは、もはやできなくなった。婚礼を挙げるのは前述の二組に加え、テーベの騎士パラモンとヒポリタの妹エミーリアである。このふたりが結婚に至るまでの紆余曲折、何よりアーサイトの存在を忘れるわけにはいかない。また見物衆の中に牢番のすがたを見ると、恋の病からまだ完全に立ち直っていない娘を抱えたまま、人の結婚を祝福する彼の心持はどのようなものかと胸が痛むのである。

 コロナ禍におけるより確実な上演のために企画された今回の2本立て公演だが、2本観劇することによって、これまで知っていたはずの『夏の夜の夢』の印象が変容し、より味わいが増すという果実をもたらした。幸せにはさまざまな顔があり、色がある。人の力ではどうしようもない運命がある。笑顔の裏に涙を湛えているかもしれず、悲しみにくれながらも存外しぶとく立ち上がることもできる。悲劇喜劇の別なく、シェイクスピア作品は人間賛歌だと改めて実感した。

 2本いずれにも「いったい何年生か」と思うほど貫禄十分だったり、台詞も歌も達者なキャストに舌を巻きつつも、素朴そのもののシスビー役の職人フルート、やる気のない今風の若者を衒いなく見せた辛子の種に、「あなた方が居てくれて良かった」と安心感を覚えたのは、楽しくも不思議な感覚であった。
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