第三部の1本め「芋掘長者」につづいて、小幡欣治作 今井豊茂演出「祇園恋づくし」。本作のはじまりは、1928年(昭和3年)7月の歌舞伎座。竹柴金作の「祇園祭禮人山鉾」を六代目尾上菊五郎と二代目實川延若によって初演された。このあたりはまったく実感できない・・・。古典落語を素材に書かれた作品で、その台本を宇野信夫が改訂し、1957年(昭和32年)4月の歌舞伎座で十七代目中村勘三郎と二代目中村鴈治郎の顔合わせで再演されたという・・・おお、だんだん様子がつかめてきたぞ。
その後1997年(平成9年)9月南座公演で小幡欣治が新たに脚本を書き下ろし、三代目中村鴈治郎(いまの坂田藤十郎ですね)と十八代目中村勘三郎の共演で本作「祇園恋づくし」が初お目見得となった次第。
江戸の指物職人留五郎(中村勘九郎)は、昔父親が世話をした縁で、茶道具を商う京の大津屋次郎八(中村扇雀)は誘われ、お伊勢参りから足を伸ばして京の祇園祭見物にやってきた。江戸っ子気質むき出しの留五郎にとって、ことばや感覚のことなる京は居心地が悪い。早く江戸へ帰ろうとするが、次郎八の女房おつぎ(扇雀二役)に亭主の浮気を、おつぎの可愛らしい妹のおそのからかけおちの相談をもちかけられ、ひと肌脱ぐことに。
江戸と京の文化のちがい、気質のちがいがさまざまな場面で描かれ、それを演じる役者がみな達者なこと。次郎八の扇雀と留五郎の勘九郎は、たがいの父親や祖父が演じた役ということもあり、それも台詞に盛り込んで客席を沸かせる。脇の配役も充実しており、おつぎに亭主の浮気を疑われている芸妓染香(中村七之助)はたいへんな売れっ子だが、美しいのはもちろん、金にもがめつく、まさに百戦錬磨の女っぷりだ。七之助は技巧を押しだすタイプではないと思うが、「この若さでよくここまで」とそら恐ろしいくらいである。
おそのと恋仲の大津屋手大の文七は絵に描いたような優男、ふたりのなれそめを必要以上に長々たっぷりと語り、留五郎から「あんた話なげーよ」と突っ込まれるあたり、これも坂東巳之助がこてこてに演じて笑わせる。
不思議なのは、「やりすぎだ」とまったく感じさせないことだ。それどころか、待ってました、まだまだもっと!と身を乗り出しそうなほど、客席も大いに盛り上がる。軽妙に楽しくみせるには、台詞のいい方、所作のタイミングなど、そうとうの鍛練が必要かと思うが、舞台のみなさんもとても楽しそうである。
同時解説イヤホンガイドによれば、物語の背景には、当時の江戸においては独身男性が非常に多かったとのこと。留五郎もご多分に漏れず、そういった事情を考えると、可愛らしいおそのに一目ぼれし、いっしょに江戸へ連れていってほしいと懇願されて舞いあがり、実は文七とのかけおちと打ち明けられて落胆するさまなど、舞台ではコミカルに描かれ、留五郎もきっぱりと切り替えてふたりの応援を約束するが、当世の独身男性の心情が垣間みえて、少し胸が痛むのである。
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