*ジュールズ・ホーン作 谷岡健彦訳
2006年にエディンバラのトラヴァース・シアターで初演され、スコットランド国内を巡演した作品。3月はじめ大阪・伊丹市のアイホールで、日英現代戯曲交流プロジェクトとしてリーディング上演された。演出はニットキャップシアターのごまのはえで、関西のさまざまな劇団から気鋭の俳優たちが参加した。昨年の『アイアン』(そのときの記事)と同じく上演には足を運べなかったが、翻訳者のご厚意で戯曲を読むことができた。ほんとうにまったく戯曲読みだけの、因幡屋演劇体験第2弾である。
関西在住の友人がこのリーディング公演に行き、とても楽しんだとのこと。よし、わたしは戯曲初見で友人に負けないように楽しむぞ、と意気込んで読み始めたのだが、結果は惨憺たるものであった。まず4人の登場人物が思うように動かせない。地方の古い家やその周辺の様子には埃っぽい空気や曇り空など、戸外のイメージが思い浮かぶのに、そこに引きこもって、インターネットで出会った男性と初めて対面しようとしている30代の女性(エイミー)が、しっくりとはまってくれないのである。さらに隣人のダンとローズがヴィデオ撮影をしている場面がうまくつながらない。そうするうちにエイミーのお相手のラフィが登場するのだが、彼のキャラクターがこれまた把握できず。いつも戯曲を読むときは、わりあい早いうちに俳優のイメージが浮かんで、その人を動かしながら読み進むめるのに、こんなにも「言うことをきいてくれない戯曲」も珍しく、はじめの意気込みはどこへやら。意気消沈。
数日後、再読。いささか安易というかベタだが、暫定的な配役を決めてみた。エイミー:寺島しのぶ ダン:大森南朋 ローズ:銀粉蝶 ラフィ:香川照之。すると急に台詞が目から頭へどんどん入り始めた。お芝居ぜんたいの構造もわかり、具体的なイメージが感じられるようになってくる。そうか、そういうことだったのか。テンポの早いやりとりの空気が掴めてくる。俳優の動きや表情までもが思い浮かびはじめる。わからなくなると、パソコン画面をスクロールして何度も読み返す。読めることのメリットをもっと活かしてこの作品を楽しもう。そう気分を切り替えた。
インターネットで知り合った男女の交流と言えば、森田芳光監督の映画『(ハル)』を思い出した。会ったことのない二人のそれぞれの日常生活と、彼らがチャットで交わすおしゃべりの画面がスクリーンに映し出されながら進行する物語だ。「プラトニックラブ」という言葉には、何か意志が感じられるが、エイミーとラフィのバーチャルな恋愛関係には、うっかりすると病的な危うさを感じさせる。恋愛に限らず、人間関係には生の、リアルな交わりがどうしても必要なときがあり、それは人を幸せにもするが、同時に不幸にする可能性もはらんでいる。
いつのまにか寺島さんも香川くんも、わたしの中からいなくなってしまった。俳優の顔がないままに、繰り返し戯曲を読む。俳優の既成イメージに限定されずに読む楽しみが味わえるようになったらしい。先入観も予備知識もほとんどない、パソコンの画面からやってくる戯曲の世界。上演をみていないことによって、逆におもしろさを感じられる関わり方を体験できたことを感謝したい。
2006年にエディンバラのトラヴァース・シアターで初演され、スコットランド国内を巡演した作品。3月はじめ大阪・伊丹市のアイホールで、日英現代戯曲交流プロジェクトとしてリーディング上演された。演出はニットキャップシアターのごまのはえで、関西のさまざまな劇団から気鋭の俳優たちが参加した。昨年の『アイアン』(そのときの記事)と同じく上演には足を運べなかったが、翻訳者のご厚意で戯曲を読むことができた。ほんとうにまったく戯曲読みだけの、因幡屋演劇体験第2弾である。
関西在住の友人がこのリーディング公演に行き、とても楽しんだとのこと。よし、わたしは戯曲初見で友人に負けないように楽しむぞ、と意気込んで読み始めたのだが、結果は惨憺たるものであった。まず4人の登場人物が思うように動かせない。地方の古い家やその周辺の様子には埃っぽい空気や曇り空など、戸外のイメージが思い浮かぶのに、そこに引きこもって、インターネットで出会った男性と初めて対面しようとしている30代の女性(エイミー)が、しっくりとはまってくれないのである。さらに隣人のダンとローズがヴィデオ撮影をしている場面がうまくつながらない。そうするうちにエイミーのお相手のラフィが登場するのだが、彼のキャラクターがこれまた把握できず。いつも戯曲を読むときは、わりあい早いうちに俳優のイメージが浮かんで、その人を動かしながら読み進むめるのに、こんなにも「言うことをきいてくれない戯曲」も珍しく、はじめの意気込みはどこへやら。意気消沈。
数日後、再読。いささか安易というかベタだが、暫定的な配役を決めてみた。エイミー:寺島しのぶ ダン:大森南朋 ローズ:銀粉蝶 ラフィ:香川照之。すると急に台詞が目から頭へどんどん入り始めた。お芝居ぜんたいの構造もわかり、具体的なイメージが感じられるようになってくる。そうか、そういうことだったのか。テンポの早いやりとりの空気が掴めてくる。俳優の動きや表情までもが思い浮かびはじめる。わからなくなると、パソコン画面をスクロールして何度も読み返す。読めることのメリットをもっと活かしてこの作品を楽しもう。そう気分を切り替えた。
インターネットで知り合った男女の交流と言えば、森田芳光監督の映画『(ハル)』を思い出した。会ったことのない二人のそれぞれの日常生活と、彼らがチャットで交わすおしゃべりの画面がスクリーンに映し出されながら進行する物語だ。「プラトニックラブ」という言葉には、何か意志が感じられるが、エイミーとラフィのバーチャルな恋愛関係には、うっかりすると病的な危うさを感じさせる。恋愛に限らず、人間関係には生の、リアルな交わりがどうしても必要なときがあり、それは人を幸せにもするが、同時に不幸にする可能性もはらんでいる。
いつのまにか寺島さんも香川くんも、わたしの中からいなくなってしまった。俳優の顔がないままに、繰り返し戯曲を読む。俳優の既成イメージに限定されずに読む楽しみが味わえるようになったらしい。先入観も予備知識もほとんどない、パソコンの画面からやってくる戯曲の世界。上演をみていないことによって、逆におもしろさを感じられる関わり方を体験できたことを感謝したい。
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