因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

play unit-fullfull『ふたりが見た景色』

2007-03-23 | 舞台
*ヒロセエリ作・演出 渋谷LE DECO 公式サイトはこちら 公演は18日で終了
 登場人物の言葉から、おそらく名古屋近辺と思われる町の小さなアパートの一室が舞台。畳の上に布団が敷かれ、男が一人横たわっている。薬の袋と何かの書類(これはあとになって重要な意味をもつ)をじっとみつめて、布団に潜り込む。暗転して再び明るくなると、男の姿はなく、喪服を着た女性がふたり座っている。彼女たちは男の妹で、もうひとり弟もいて、男の葬儀が終わったあとという設定だ。両親が営む商売や両親の死をめぐって、男はきょうだいたちと諍いを起こして絶縁状態にあり、妻子にも内緒でアパートを借りていた。男には愛人がいて、この部屋は彼女との密会の場である。

 男が死んでしまったあとの現在と、まだ生きていた頃の過去が交差しながら物語が進む。妹のひとりは霊感が強いのか、「兄ちゃんが見える」と言い出したり、アパートの隣人や、彼に首ったけの蕎麦屋の娘がやってきたりする。現在と過去、こちらの世界とあちらの世界を自在に行き来する手法は演劇ならではのおもしろさだ。男がどんな人生を送ってきたのか、家族に何を伝えたかったかがだんだん見えてくる。二つの世界が平行線を越え、交わりぶつかる瞬間がこの手法のいわば決め手になるのだが、この点はもう一息の印象が残った。

 男(野本光一郎/ONEOR8)と愛人(勝平ともこ/劇団M.O.P)の姿は、「愛人」「密会」「浮気相手」という言葉を使うことが憚られるくらい慎ましく、手助けをしてやりたいという気持ちにさせられる。逆に男の妻は何だか感じの悪い女で、しかも彼女は自分の夫の弟と浮気(この言葉を使うぞ、わたしは)をしていて、こちらの愛人たちは厚かましく感じられ、見ていて不愉快になってしまった。作者のあて書きが絶妙で演出が的確であり、俳優の演技も巧みであることの証左だが、二組の男女の雰囲気の違いはどこからくるのだろう?この印象は拭いがたく、今回の俳優さんが違う舞台に出演されているのを見て、「う、あのときのあいつじゃないか」という感覚がつきまといそうである。

 勝平ともこは芯のしっかりした聡明な女性を演じて忘れがたい。劇中何度か衣装が替わり、そのどれもが高価ではないが、とても上品で彼女によく似合っていた。特に中盤に着ていたフリル襟の白いブラウスに茶色のセーター、ベージュのタイトスカートの組み合わせはよかったな。

 生きているうちに和解し、幸せに暮らせるほうがいい。しかし往々にしてそうはいかない現実がある。きょうだい、夫婦、親子という濃密なつながりを持つもの同士だからこそ、関係がこじれると溝が深まり、修復は困難になる。話し合えば許し合えば理解できるようになるというのは、もしかしたら幻想かもしれない。あっさりと割り切れないところが厄介で、それがまた人の心を苦しめるのである。過去の時間は取り戻せず、死んだ人は戻ってこない。あのとき電話でもっと話していればよかった、ちゃんと打ち明けてくれればよかったのに。やりきれない後悔もまた、その人に対する愛情なのだと思わせる。
 
 このひと月でルデコ通いが3回になり、自分の中で新しい空間としてあっと言う間に定着した。劇場に入るとジャンジャンに似た雰囲気を感じるのである。ここで見た芝居はどれも初見のカンパニーで、新鮮さを楽しむと同時に、何度も通ったジャンジャンの懐かしい空気が蘇るようなところもあって、実に不可思議な空間だ。

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