因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

コクーン歌舞伎『天日坊』

2012-07-02 | 舞台

*河竹黙阿弥原作『吾孺下五十三驛』(あづまくだりごじゅうさんつぎ) 宮藤官九郎脚本 串田和美演出・美術 公式サイトはこちら シアターコクーン 7日まで
 幕末の初演から150年近く上演されていない作品を取り上げるのは、ことし19年めを迎えたコクーン歌舞伎はじめての試みとのこと。長い(らしい)原作を宮藤官九郎が3時間強の作品に仕上げた。中村勘九郎、七之助きょうだいと中村獅童が主軸の3人をつとめ、ベテランの片岡亀蔵、市村萬次郎、新進の坂東巳之助、坂東新悟、さらに現代劇から白井晃、真那胡敬二、近藤公園も加わった新鮮な布陣である。

 前回コクーン歌舞伎にきたのがいつか思い出せないところをみると、自分にとってコクーン歌舞伎の需要はあまり高くないらしい。歌舞伎に対して斬新な演出や遊び心は求めず、「やっぱり勧進帳がいちばんだ」としみじみするのが好きなのだ。

 歌舞伎役者の身体性の高いことには改めて驚かされる。
 とくに女盗賊お六を演じた中村七之助!追いつめられて大勢の捕り方を相手に大立ち回りをみせる場面。歌舞伎の舞台でここまで早く鋭利な動きをみた記憶はなく、舞のような殺陣というのだろうか、色香と殺気でちょっとどうかというくらい美しい。ついに斬られて小鳥のようにぽとり床に倒れるところがまた美しく、どうやったらあのように動けるのか・・・。

 「俺は誰だあっ」という主人公の台詞が公演チラシにもパンフレットにもキャッチコピー的に使われており、本作がアイデンティティの話であることをわかりやすくもしているが、いっぽうでここまで大々的にあちこち示さずとも、芝居をみていれば自然にわかることだとも思う。また劇中に何度もでてくる「マジかよ」の台詞もいささかくどくて鼻につく。演奏者が7人も登場するトランペットも、ここまで必要かどうか。
 さきほどから「ここまで」という表現を何度もつかっており、このあたりがコクーン歌舞伎の串田演出に自分がなじみにくい理由なのだろう。

 しかし決めつけや食わずぎらいをせず、関心を持ち続けることが大切だと反省しきり。久しぶりのコクーン歌舞伎は、勘三郎や橋之助や福助などの世代からその息子たちに代替わりした。「父や叔父、先輩方が死ぬ気で闘ってきた姿勢を大切にしたい」(公演パンフレット掲載)と勘九郎が語るように、受け継いだものと新しく作り上げるものが相乗効果をあげていて、楽しめる舞台であった。ふと勘九郎や七之助、獅童が劇団新感線に出演したらどんな舞台になるのだろう、と考えたりもするのだった。

 

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