川和孝の企画で1994年に始まった「名作劇場」最後の公演が昨年春コロナ禍のために中止され、翌年4月に仕切り直しの準備を進めていた矢先、川和が旅立ってしまった。大変な状況のなか、佐藤大幸が演出を引継いでこのたびの公演が実現したわけで、関係者の感慨は一入であろう。客席からも祝福を贈りたい。
☆古川良範作 1965年発表『鰤』…敗戦直後、どこかの小さな町で三代続く郵便局を営む家族のもとに、戦地の長男から帰還の電報があった。母も妹や弟も一日千秋の思いで待っている。しかし長男はすがたを見せない。留守中に長男の妻が子を連れて実家に帰っていたり、妹の縁談があったり、留守中の厄介な事情も絡んだ「兄帰る」の一幕劇だ。
☆御荘金吾作 1965年作『貧乏神物語』…貧乏が身についてしまった男。資産家の娘と結婚して、何不自由ない暮しをしながら居心地が悪い。貧乏神は軽やかに歌い、踊りながら男の人生を翻弄する。
何度か足を運んだ「名作劇場」の最終ステージ。感じたことをいくつか。
企画者が作品を決定する決め手とは、何より「この戯曲を板に乗せて、どんな舞台になるのかを知りたい、そして観客に見せたい」と心を突き動かされるかどうかだと想像する。その気持ちが客席で感じられたなら、劇場は至福の空間となるだろう。それを味わいたいゆえに、飽くことなく劇場に通うのだ。
簡単に上演できる戯曲など存在しないと思う。どれほど短くとも、人数が少なく大きな拵えがいらないものであっても、舞台に立ち上げるには何らかの困難が伴う。またどれほど堅固に構築された戯曲であっても、実際に俳優が台詞を発し、動いてみると、どこかに不具合というのか、すんなり運ばないところもあるだろう。そこにこそ演出家の視点が必要であり、腕前が発揮されるところである。
『鰤』の一幕は、言うなれば「親の心子知らず」であろうか。さんざん家族を待たせておいて、けろりと帰ってくる息子に何も言えない母に、その弟がかける言葉はしみじみとした味わいのあるものであった。戦争に翻弄された人々の悲しみをあらわにではなく、控えめに描いているところが好ましい。俳優一人ひとりの演技がもう少し互いに噛み合って物語ぜんたいを作り上げていれば、もっと光る舞台になっただろう。
『貧乏神物語』はリアリズムではなく、寓話的な作品であるが、俳優の演技が非常に不安定であったり、必要以上にコミカルであったりなど違和感を覚えるところが散見していたのが残念であった。「名作劇場」には出演を重ねた常連の俳優が少なくない。ならばこそ、息の合った安定感のある仕上がりを望みたい(画像は上演台本とともに飾られていた川和孝さんの遺影)。
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