8月はまだ予定が少ない。因幡屋通信、えびす組劇場見聞録の次号締切がひたひたと迫ってきた。さてどうしましょう。
*劇団フライングステージ第35回公演『トップ・ボーイズ』(1,2,3,4,5,6,7,8)
*ユニークポイント国際共同プロジェクト2010『通りゃんせ』(1)
*8月からはじまる佐藤佐吉演劇祭2010 @王子小劇場
『劇作家サルトル』を第9章まで読んだところで、喜志哲雄の『劇作家ハロルド・ピンター』に手を出してしまった。それも章の順番どおりではなく、楽をしてこれまでみたことのあるもの、戯曲を読んだことのあるものから。まっさきに開いたのは第16章ー崩壊する家庭Ⅲ『帰郷』で、次の箇所を8月のひとこととして、心に覚えたい。「劇の台詞を吟味する場合、語られている事柄だけに注目するのでは明らかに不十分なのであり、それが語られる状況だの語り手の心理だのといったさまざまな条件にも注意することが必要なのだが、『帰郷』のような作品については、このことは特に顕著になっている。」春にステージ円でみた『ホームカミング』の不完全燃焼感がどこから来るものなのか、この一文によって相当程度納得できた。
大学時代、西洋演劇史の教授が「自分は戯曲は読むけれども舞台の上演はあまりみません。おもしろくないから」とあっさりおっしゃっていたことを思い出す。学問として突きつめるとこうなってしまうのか、これもひとつの方法ではあるが、やはり舞台も戯曲も両方楽しみたい。
この調子でいくと、自分はサルトルもピンターも、舞台の上演はおろか戯曲を読むより先に研究書によって作品のイメージを持ってしまうことになりかねない。それが自分の演劇歴にどのような影響を及ぼすのだろうか。『劇作家サルトル』を読みながら、上演をみたい気持ちが最も強くなったのが『墓場なき死者』である。この作品の上演に出会う日が来たとき、自分はもしかするとまったく予備知識なしにみる至福を失っているかもしれない。さらに生きているうちに上演をみられない可能性もある。研究書を通して想像する舞台は、ときに実際の上演よりも魅力的かと思われることもあって、読み進むのに苦労しながらも自分なりに楽しいのである。演劇とのご縁はさまざまな形で訪れる。それらを柔軟に貪欲に吸収したい。
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