因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

第七劇場『悲劇の終焉Ⅰ』

2006-03-15 | 舞台
*構成・演出 鳴海康平 早稲田どらま館
 「古今東西の悲劇と呼ばれる作品を再構成して上演するシリーズ『悲劇の終焉』の第一弾」と銘打たれた本作は、アーサー・ミラーの『るつぼ』とベルトルト・ブレヒトの『ガリレイの生涯』をもとに構成されたものである。劇場にはいると緞帳はなく、俳優たちは既に板についているが、微動だにしない。
 『るつぼ』の第3幕と4幕を中心に展開し、『ガリレイの生涯』は冒頭と終幕に少し絡んでくる。
 劇が始まるとまず、俳優がほとばしり出るような大音声で台詞を言うのに驚いた。鈴木忠志の影響なのだろうか。張りつめたような舞台の空気、観客の感情移入などはねつけるような、ある意味で様式的な演技はずっと以前に見たSCOTのようでもあり、ク・ナウカのようでもある。しかし不思議なもので、いくら俳優の声が大きくてもそこにこちらが欲しいと思うもの、必要としているものが感じられなければ、緊張は緩んでしまう。それが伝わってきたのは劇の後半、エリザベスとプロクタが言葉を交わす場面であった。
なぜ『るつぼ』と『ガリレイの生涯』なのか。古典や現代戯曲を題材に「現代社会の抱える問題を溶解して演出を起案する」(公演リーフレットの劇団プロフィールの箇所)ところまでは、残念ながら読み取れなかった。1時間足らずの上演は、演出家の意図をつかみ取るには短く、かといって『るつぼ』全編だったらおそらくこちらの体力が保たないだろう。
 
 戯曲そのものとも劇団民藝の『るつぼ』とも違う演劇体験をした。
 日曜昼間の早稲田は人通りも少なく、静かである。町を歩こうかと思ったが、空気がびりびり音を立てるような台詞の響きが耳から離れないうちに地下鉄に乗った。続く第二弾も新鮮な出会いがあるように。
 

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