*パク・グニョン作・演出 公式サイトはこちら 上野ストアハウス 16日まで
温泉ドラゴン『birth』のあと、15分の休憩をはさんで韓国の劇団コルモッキル『鼠』がはじまる。劇団については、ストアハウス代表木村真吾氏によるエッセイが詳しい。
洪水のために都市機能が壊滅し、鼠が猛威をふるう町。小さな部屋に暮らす家族は、私設放送を営みながらかろうじて生きている。彼らは年老いた母親を敬い、互いに配慮しながら礼儀を重んじ、希望を失わずに生きている。
長男夫婦にはもうじきはじめての子どもが生まれる。喧嘩や口争いは絶えないが、弟や妹も懸命に生きている。
ある日一家の部屋にひとりの少年が迷い込んできた。いや弟がおもてから引きずり込んだのか。少年に対する家族のよってたかっての行為がどうもおかしい。
舞台上方の壁に日本語の字幕が出る。少し高めの位置であることや、照明が明るくなると読みにくくなる難点はあるが、写し出されるタイミングも的確で、とてもわかりやすい。
公演フライヤーに記載されているのでだいじょうぶなのだろうが、つまりはこの家族は人を捕まえては殺し、食べながら生きている。のみならず、妹のおなかに宿った子の父親は家族のなかにいるらしく、早い話が近親相姦である。
こう書いていると「どうにでもなれ」的な気分になり、いや決して自棄になっているのではなく、清々しいまでの開放感があるのが不思議である。
暮らしは貧しくとも礼節を忘れず、年長者を敬い、身重の妻を大事にする一家が人肉を喰らい、きょうだいで交わるのだ。
「人を殺めるにも、順序と方法があるんだよ!」フライヤーに書かれた一家のスローガン?である。むちゃくちゃな話、ひどい内容なのだが、舞台から有無を言わさないエネルギーが発せられていて、襟首をつかまれているかのように動けない。みるしかない。しかし不快感はまったくなく、ぞくぞくするほどおもしろいのだ。自分のなかにある残虐性や暴力性が呼び覚まされるのだろうか。
おそらくそのわけは、演じている俳優の重量感、力強さであろう。うまく書けないが、人肉食や近親相姦という極端な設定に負けていない、食われていないのだ。どんな設定でもどっしりと舞台に立ち、平然としてゆるぎない。これは何なのだろうか。演技の巧さやキャリアもあるのだろうが、俳優の立ち姿の根っこにあるものを感じさせる。
現代社会を鋭い視点で照射した作品であり、もしかするとタイトルの<鼠>とは、この一家のことを指すのかとも思われる。鼠が擬人化されているのか、鼠を象徴する存在が一家なのか、舞台にぐいぐいと引き込まれながら、いろいろな妄想が生まれては消え、また浮かび、危ない一家に翻弄されているような気分になる。
寓話、ブラックコメディとくくるには、まだ何か「出てきそう」な感じがして、その不気味なところがまた魅力的なのである。
前述のように見やすい字幕ではあったが、字幕を読むことによって俳優の表情など見のがしてしまったと思われるところは少なからずあり、字幕に映しきれない台詞や、日本語への翻訳の段階でこぼれおちてしまう微妙なニュアンスもあると思われ、できれば上演台本やDVDなどで補いながら、もう少ししっかりと味わいたい舞台であった。
JR上野駅入谷口を出たところで公演フライヤーを持った方をお見かけし、劇場までご一緒した。今回がはじめてのストアハウス観劇とのことだ。「指定席なのでしょうか?」と言っておられたが、フライヤー、公式サイトのどこにもその旨は記されていない。
今回は『birth』『鼠』の2本立て公演で、チケットは5,000円だ。この価格で自由席というのは考えにくく、しかしこれまで数回通ったストアハウスで指定席公演はなかったこともあり、非常に悩ましい。おそらく開場は開演の30分前ころと踏んで(それも記載がない)、早めに着くように心がけたのでだいじょうぶではあった。
自由席か指定席かは、観客の行動に少なからぬ影響をおよぼす。「全席自由席」のひとことがあれば、それだけでだいぶ落ち着く。「書いてないのだから自由席なのです」ということかもしれず、わからなければ問い合わせればいいのだけれども、劇場に向かうために電車に乗る、道を歩く、そこからすでに演劇をみる行為ははじまっている。できれば不安やいらだちなく舞台に会いたい。ほんの少しの配慮を願うものである。
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