*公式サイトはこちら 上野ストアハウス 16日まで
「わたしの観たいお芝居/あなたの観たいお芝居を/さがし続けるためのストアハウスコレクション」にはじまるのは、二つ折の立派なフライヤーに記されたストアハウス代表木村真悟氏の挨拶文である。「ストアハウスコレクションはストアハウスの我儘によって/企画・開催することとなりました。/ストアハウスが観てほしい芝居を/みなさんにお送りいたします」と結ばれている。この言葉どおり、“日韓演劇週間<生きる>ことの考察”と銘打たれた本公演は、江古田ストアハウスで開催されたフィジカルシアターフェスティバルの活動などから、木村氏が親交を深めてきた日韓の演劇人が競作するものだ。
当日パンフレットに掲載された温泉ドラゴン、劇団コルモッキル主宰者の挨拶文も、日本語とともに韓国語の記載があり、公演開催前のおよそ一カ月間、木村氏がストアハウスのHPに綴ってきた両劇団への「ラブレター」(1,2)が冊子になって配布されていたり、関わった方々の情熱がひしひしと伝わってくる。
上演の順番は日によって違うらしいが、筆者の観劇日は温泉ドラゴン→コルモッキルの順であった。それぞれ80分くらいのお芝居が、15分の休憩をはさんで連続上演される。そのためぜんたいでは3時間近い長尺になる。
まずは先に上演された温泉ドラゴン『birth』(シライケイタ作・演出)から。
本作は2011年2月新宿のスペース雑遊で初演され、昨年夏にスペース早稲田で再演、今回が再再演になる。温泉ドラゴンの自信作、人気作といってよいだろう。
舞台中央奥に2ドア式の冷蔵庫が置かれているほかは何もない。冷蔵庫の中から4人の男たちが登場する。刑務所から出て来たばかりの男が、さっそくひと稼ぎするための道具をそろえようとある男のもとを訪れ、昔からの悪仲間を引き入れようとする。彼らが企んだのは、子どもを思う親の気持ちを悪用する「オレオレ詐欺」であった。
出演は筑波竜一、いわいのふ健、白井圭太(作・演出のシライケイタの役者名)、阪本篤。
惚れぼれするほどの長身、男前4人が叫び、暴れ、のたうちまわる。大変な眼福なのだが、おそらく1時間30分を切るほどでありながら、体感時間はもっと長い印象であった。
どうしてだろう。
いきなり俳句の話である。ほんの初学者である自分がこのようなたとえをもってくるのは非常に危険であるかもしれないのだが。
句会において、しばしば「類想」、あるいは「類句」ということばを聞く。
「この句には類想類句がある」と言われた場合、「すでに先人による似たような発想や表現の句が存在しているから、あまりよろしくないですよ」という評価になるのだ。「本歌取り」は、ただ似ているのではなく、先人の作品と和している、もともとの作品の魅力をきちんと理解して敬意を払いつつ、それを越える域に達しようとしている・・・ということだろうか。
自分レベルの言葉で考えると、類想類句は勉強不足のゆえに思わず似たようなものを作ってしまい、「ああ、これは既に詠まれていますねぇ」的なものであり、「もしかしてあの人のあれをこんなふうに取ったのか、やるねぇ」と唸らされるものになれば、本歌取りとして評価されるのではないかと思う。
既成の作品を「ふまえる」姿勢のあり方、方向性の問題だろう。
この世にある俳句はじめ詩歌をひとつ残らず覚えることはまず不可能であるし、誰もが最初から「類句を作ろう」などと思うわけがなく、しかし歳時記や句集を読んでいれば、いつのまにかいろいろな句が心に残り、それらから良くも悪くも影響を受けてしまうのである。そう考えると、100%完全なオリジナル作品を目指すことがそもそも不可能ではないかとさえ思う。
さて『birth』に話を戻す。男たちがオレオレ詐欺をしようとする場面で、まっさきにミナモザの瀬戸山美咲作・演出の『エモーショナルレイバー』(1,2)が思い浮かんでしまった、いや「しまった」というのはよくないが。同じ題材を選ぶことに問題はまったくない。しかし冒頭では非常に張りつめたハードボイルドがはじまるかと息をつめたのに、彼らがほとんど考えなしにオレオレ詐欺をしようとする運びに拍子抜けしたのである。ここで舞台の勢いに乗れないと、どうしても類想類句とシビアに比較したあげく、冷めてしまうのである。
詐欺行為を進めるうちに、実の母親が云々という流れも「読める」もの、つまり既視感のある展開であった。まったく同じではないが、『エモーショナル~』において、詐欺グループで売上ナンバーワンの男が、母親が別のグループから詐欺にあって自殺したことに混乱するというプロットを想起させるためだ。むろんこれは単に自分が『エモーショナル~』をみていたからに過ぎないかもしれず、みていなければ、もっと素直に『birth』になじめた可能性もある。
そもそも作者が『エモーショナル~』を知っているのか、ふまえたのかどうかは、まったくわからないことである。
いや題材や話の流れというよりも、作品のどこに演劇性を持たせるかという点において、「これぞ温泉ドラゴンだ」という強烈な個性、独自性を、いまひとつつかめなかったのだ。
両親の愛情を知ることなく、社会のはぐれ者になってしまった男たちが、子を思う親の気持ちを悪用した犯罪を犯すのは悲しい皮肉であり、この世に対する痛切な告発でもあろう。タイトルの「誕生」がもつ意味は深く、重い。
当日パンフレットに記載された作・演出のシライケイタが、「何故、今『birth』なのか」とみずからに問いかけ、試行錯誤のとまどいや、それでもつづけていく情熱を語っている。
温泉ドラゴンの芝居はいまの演劇界の風潮とは逆行するもので、「ガタイのデカイ男達が、暴れて、怒鳴って、泣き叫んで、ナチュラリズムとはおよそ無縁」であり、称賛の言葉だけでなく、酷評も少なくないとのことだ。
「でも僕らは、肉体の存在そのものが持つ力強さを信じている/言葉が世界を変えるかもしれないという奇跡を信じている/ナチュラルを越えたところにあるリアルを信じている/魂を揺さぶるものは必ず、強く、太く、切ないものなのだと信じている」
シライケイタの演劇観はまさに舞台『birth』に結実している。こんな舞台を届けたいという思いがみごとに具現化しているという点で、温泉ドラゴンの姿勢はぶれずに一貫しており、「ストアハウスが観せたいお芝居」なのであろう。
では自分はどんな芝居を、温泉ドラゴンで、ストアハウスで観たいのか?
これが今回の『birth』で自分に与えられた大きな宿題である。
上野ストアハウスは舞台の天井の高さや奥行きがほどよく、客席の傾斜も絶妙でとても居心地がよい。もっと足しげく通ってこの空間になじみ、「観せたいお芝居」と「観たいお芝居」との接点を探りたい。
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