憧れの甲子園出場を目前にしながら、自分が落球したためにチームはサヨナラ負け。野球からも仲間からも遠ざかってしまった主人公が10年後、草野球チームに誘われ、再び野球に打ち込み始める。野球に魅入られた若者たちとその家族、友人、町の人々の交わりを描いた物語は、一部ダブルキャストの総勢29名のにぎやかな座組で、休憩無しの2時間を一気に駆け抜ける。
舞台でスポーツを描くことは簡単ではないが、決して大掛かりな舞台美術ではなく、白い箱やドラム缶、ネットなどを無理なく動かし、照明技術を駆使して試合の臨場感だけでなく、居酒屋や主人公の家、友人の職場など、さまざまな場所への転換、時間の経過、幻想との交錯も表現している。終始ボールを使うことなく、俳優が投げ、打つという動作によってゲームの進行を表す。1シーンだけボールを使ったのが、亡き父とのキャッチボールの場面であることに、それまで「使わなかった」ことの効果が表れている。
劇作家、演出家、俳優、スタッフそして観客それぞれに、こんな演劇を創りたい、観たいという「演劇観」がある。それらに絶対的な正解はなく、自分の演劇観と違うものであっても、「こういう舞台もあったのか」と新鮮な驚きを以て味わうこともできる。しかし違和感や困惑がどうしても消えない場合もあり、今回の舞台では俳優が素になって、アドリブ風のコント場面が挿入されたことであった。これが必要なものなのか、どのような演劇的効果を目指しているのか、自分には理解できなかった。
改めて公演チラシを読んでみると、俳優や協力各所ほとんどが初見の方々であった。その一人ひとり、一つひとつにエンターテインメントに関わる足場があり、歴史がある。観劇日、会場を埋め尽くした観客一人ひとりも同様である。それらが喜ばしい交わりを持つことを願った一夜であった。
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