*公式サイトはこちら 歌舞伎座 25日まで
歌舞伎鑑賞の助けになるものとして、「同時解説イヤホンガイド」がある。文字通りイヤホンをつけて聴くのだが、舞台の進行に合わせて物語の流れや人物のこと、台詞や所作事、衣裳や道具のことなどをタイミングよく説明してくれるものだ。役者の台詞と極力だぶらないように配慮されているのが特徴で、歌舞伎初心者を手とり足とり勉強させてくれる指南役だ。
何年も使っていた「同時解説イヤホンガイド」を、いつのころからか使わなくなっていた・・・というといかにも歌舞伎の理解がすすんで不要になったようだが、決してそうではなく、「何となくわかるような感じだから」程度の意識であった。今回久しぶりに使ってみたら、やはり自分の歌舞伎歴ではもうしばらくは必要なものであることがよくよくわかった。
昼の部2本めの『実盛物語』は小山観翁さんの解説である。観翁さんの解説には物語の人物の心に寄り添うような温かみがあって大好きだ。いつの上演であったか、『勧進帳』の終幕で、弁慶の花道の飛び六法がいままさに始まろうとする瞬間のことはいまでも忘れられない。
弁慶は花道の先に目を凝らし、あるじ義経と四天王の様子を確認する。観翁さんの解説は、「無事に行ったな・・・。弁慶は義経たちに遅れまいと、喜び勇んで花道を懸命に
駆けていきます。歌舞伎十八番『勧進帳』、これにて幕でございます」。うろ覚えの自分がもどかしい。こんなものではありません。もっと明確で力強く、弁慶たちを応援するような温かさがにじみでた解説であり、みるたびに胸が震える弁慶の飛び六法が、観翁さんの
解説によっていっそう力強く鮮明に心に刻まれた。
客席がもっとも盛り上がる場面であり、解説なんて要らない!くらいよく知っているのだが、イヤホ
ンガイドを使わないときでも、自分は心のなかで観翁さんの解説を思い起こしながらみているのである。自分のなかでは「泣かせる同時解説」№1なのだ。
名解説とは決して立て板いに水の名調子ではなく、舞台の黒子に徹した控えめなものだ。しかしまるで舞台の人物のすぐそばにいるかのような息づかいが感じられるときもあれば、客席のわたしのとなりの席にいて、「あの役者のしぐさはこういうことなんだよ」と教えてくれる優しい先生のようでもある。
そのようなわけで、これから再び同時解説イヤホンガイドのお世話になろうと改めて思った次第。
『実盛物語』では尾上菊五郎演じる実盛と、太郎吉(子役さんのお名前がわかりません)の終盤のやりとりに感銘を受けた。幼子が成長したとき、母親の仇である自分を討てと励まし、見守る実盛。親の仇でありながら、実盛に対して決して憎しみと恨みだけでない尊敬の念を抱いている太郎吉。大人と子どもでありながら、戦場で相対する武士どうし、男と男の友情が交わされる物語だ。実盛は太郎吉が可愛くてならぬというしぐさをし、太郎吉は馬に乗って発つ実盛に、「自分も乗りたい」と前に抱かれて嬉しそう。まるで好々爺と可愛い孫のようだ。それでもいつかは仇として向き合うことを思うと微かに胸が痛む。
昼の部最後の演目は十五代目片岡仁左衛門(1)復帰の『お祭り』である。病気やけがなどでおやすみしていた役者が復帰するときの出しものとして、この華やかで賑々しく、そして短い(けっこう大事ではなかろうか)一幕が客席に与える幸福感といったら!
この日は大向こうの「待ってました」と「待っていたとはありがてえ」のタイミングがいまひとつのようではあったが、いやもう野暮は言うまい。
当代きっての花形役者片岡仁左衛門が舞台に帰って来た。その喜びだけでじゅうぶんである。
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