因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団印象第12回公演『父産』

2009-11-01 | 舞台

*鈴木アツト作・演出 公式サイトはこちら 吉祥寺シアター 3日まで(1,2,3,4 5,6)
 初演からおよそ2年半足らずで吉祥寺シアターに進出しての再演となった。劇団の急速な成長と変化に戸惑いながら、自分まで晴れがましいような気分になって劇場に向かう。

 改めて思ったのは劇団とは、戯曲とは、演出とは何だろうかということであった。自分は今回の再演の座組について何度か「強烈客演陣」と書いた。主人公の加藤慎吾にからむ父親役に劇団フライングステージの関根信一、妻役に「風琴工房の飛び道具」と言われ、退団後もさまざまな舞台で異彩を放っている笹野鈴々音が扮することを、「おもしろくなりそうだ」という期待よりも、「いったいどんなことになるんだろう」と不安のほうが強かったのである。

 実を言うと今回の舞台をみているとき、初演の新宿タイニイアリスに比べて天井が高く、奥行きもある吉祥寺シアターの空間をやや持て余しているように見受けられたり、俳優の熱演に対して客席の温まり具合がいまひとつだったり、もどかしく思うところが多々あったのである。特に前述の客演のお2人の造形に対して、自分が思い描いていたものよりもずっと地味な感じがした。たとえば自分は関根信一の女性役、特に『新・こころ』の下宿の夫人や『プライベート・アイズ』の教師など年配の女性役に、何とも言えない安心感を覚える。今回の息子離れできないしょぼくれた父親は、いそいそと家事をする場面はあるものの、期待していたほど「おばさん」風の演技ではなかった。笹野鈴々音にしても、「小さいね」という台詞は何度も出てきたが、それ以外はことさら笹野の特異性を強調するものではなかった。

 しかし大混乱の果てに、父親になろうとしている梶五月(加藤)が、子供たちの心音に耳を澄ませる終幕に、得も言われぬ温かな心持ちになった。俳優が生きて動いている存在であると同じく、戯曲もまた演出家の手によって変化するのだと思う。両者の力関係やバランスによる舞台の変容は、こちらの安易な思い込みや期待を、いい意味で裏切るものである。

 今回も坂口祐の舞台装置が素晴らしい。小さな劇場ではほんのりと優しく、大きな劇場では広い空間を大胆に。終幕、母親の胎内を森の中のようなお風呂に見立てたところには、思わずため息が出そうになった。

 今夜はポストパフォーマンストークがあり、病児保育に取り組むNPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹氏と舞台美術の坂口祐氏がゲストであった。作・演出の鈴木アツトとは大学の同級生で、ともに映画サークルに所属していたというから驚いた。トーク後半は、子どもを持つことに不安を抱く鈴木アツトへの人生指南の様相を呈していた(笑)が、人が生れて成長し、伴侶と出会って子どもを持つのは古今東西変わらぬ営みであるが、子どもを持つ人、持たない人、さまざまな立場の人がいて社会が成り立っていることを思い起こさせた。自分は時折、『法王庁の避妊法』を思い起こした。今日の『父産』をみて、背中を押されて前進する人もいれば、ますます悩む人もあるだろう。鈴木アツト本人は、後者ではないかと想像するが、その迷いや悩みもまた作品に反映し、変化していけば、自分もこれまでの作品の印象や、俳優に抱いている既成概念をいったん捨てて、その日その時の劇団印象の舞台に臨みたいと思うのである。

 

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