*公式サイトはこちら 先月に続き、俳優・神由紀子(1,2,3,4)が主宰をつとめる「朱の会」の第2回公演の稽古場訪問その2をお届けする。土曜の夕刻、都内某所で始まった稽古は、まず舞台衣裳、小物類を確認し、会場であるBOOK Trade Cafeどうひんのサイズに合わせて、稽古場の床に養生テープを張ったりなど、3月30,31日の本番まで3週間を切った緊張感がさまざまに感じられる数時間であった。
新美南吉の『手ぶくろを買いに』、芥川龍之介の『蜜柑』は、いずれも一人の俳優が通しで朗読する演目である。前者は大人から子どもまで多くの人に愛され続けている名作で、親しみやすさという点では今回の演目中断トツであろう。それだけに、観客の心にはその人なりのイメージがあって、それにしっくり来るものになるか、あるいは本作の意外な面を切り開くものを目指すか、むずかしいところであろう。後者は主人公の心理描写が素晴らしい。自分の心の微細な変化を、これほどまでに的確で精緻に記す芥川龍之介という作家のものすごさに、今更ながら畏敬の念を覚えるのである。言葉を粒だてること、声の高さを保つ、呼吸を長く安定させるなどなど、演出家の指示は細かいが、そうすることによって、観客にとって作品は見違えるほど(聞き違えるほどか?)変容し、味わいが深まるのである。
アンデルセンの『絵のない絵本』は、演目のなかでは異色である。詳しくは本番のお楽しみであるが、俳優の動き、出はけのタイミングなど、試行錯誤が続く。
直球勝負の朗読には逃げ場がなく、動作も加わった変化球的な朗読は、覚えねばならない段取りがたくさんあり、どちらにしても、易しいものなどひとつもないのだ。朗読も動作も演出家がしばしば実演してみせる。神由紀子のそれは実に的確で、抜群にうまい。しかしそれと同じようにやるのは、こちらが思うよりむずかしいものなのだろう。自分が今出している声、からだの向き、表情などを客観的に捉え、演出家が何を要求しているのか、それと自分の演技とのどこが違うのか、どうすれば良くなるか。そもそもなぜ的確な朗読ができないのか、からだがスムーズに動かないのかを考えると、これまでの経験、受けてきた演技の訓練の量や質も問題になってくる。劇団ではなく、公演ごとにメンバーを集めるプロデュース公演には旨みもあるが、同時に足並みが揃いにくい面もあると察する。
俳優はどこまで変わり、伸びていくか。なかには自分を抑えて踏みとどまるところもあるだろう。演技の強度を上げる、動きを加えるなど、足し算の演技はまだしも、削ぎ落すには勇気と覚悟が必要だ。このつぎ「朱の会」に会うのは、今月末の本番である。一つひとつの演目が確かに語られ、「どうひん」の小さな空間から新しい劇世界が広がっていくことを願っている。
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