因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ネットで観劇☆演劇企画イロトリドリノハナ『人生のおまけ~Collateral Beauty』

2020-05-11 | 舞台番外編

 演劇企画イロトリドリノハナは、劇団光希所属の森下知香が2018年旗揚げした団体で、その名の通り、自由に多彩な花を咲かせることをコンセプトに、さまざまな俳優と交流し、作品を創ることを目指す。今回は森下知香作・演出、2019年9月5日~9日 シアターKASSAIで上演された『人生のおまけ~Collateral Beauty』をネット視聴した(ダイジェスト動画はこちら 「観劇三昧」にて6月8日23時59分まで無料配信、フリー会員登録が必要)。

 校長まで勤め上げた66歳の結城耕平(佐藤昇)が、遺跡の発掘にペルーへ行くと言い出した。考古学の研究者たちの団体に誘われたらしいが、そこで小島ゆかり(豊田望)と何やらある様子だ。団体のスタッフが訪れて長女(伊藤さつき)、次女(神月叶)に説明をするが、ゆかりの奔放な振る舞いに困惑しきり。なじみの喫茶店の父子(村林正敏、甲斐裕之)や父の姉(原妃とみ)、そして耕平の別れた妻奈津江(神由紀子/朱の会)も巻き込んだ騒動を描く2時間である。

 舞台の3分の2を結城家のリビングが占め、上手に喫茶店のカウンターを作ってふたつの空間を無理なく見せる。人の出入りの多い賑やかな舞台だが、時系列に沿って進行するので混乱はしない。

 視聴しているあいだじゅう、人物の個々の台詞ややりとり、造形について、しっくりしない感覚が消えなかった。ひとりの人間にはさまざまな性質が混在しており、言動に矛盾があったり、首尾一貫していないことはいくらでもあるし、結論の出ない会話や、ずれていくやりとりがあるのが日常会話である。しかしながら劇中の人物は、劇作家の作る台詞、ストーリー展開の中で生かされる存在であるから、前の場で「黒」と言っていた人物が、次の場で「白」と言い出すには、何らかの理由があることが示される必要がある。物語が破綻しなくとも、小さな矛盾や無理、つじつまが合わないためのぎくしゃくした箇所が散見すると、観客はこの人物をどう捉えるのか、どこへ視点を置けばよいのか困惑するのである。視点が定まらず、浮遊することを味わう芝居もあるが、本作の場合、そうではないだろう。

 第二の人生をどう生きるかは、今の社会において身近なテーマである。高い志とビジネスの狭間で苦悩する若者たちにいったんは翻弄されるも、耕平はさすが元校長の経験値と思いやりで彼らに奮起を促し、確かな生甲斐を見出す展開には安堵させられた。また別れた妻との再会にも無理はなく、互いに距離をもった生き方を見せてしみじみと味わい深いものであった。こうした劇作の個々のアイディアを、より有効に繋いでいくための確かな台詞がほしいのである。台詞や演技の技術と表現力を持った俳優であっても、戯曲の台詞が整っていなければ力の発揮しようがない。戯曲の矛盾点や曖昧な箇所のつじつま合わせを俳優がしなくてはならないとしたら、非常に辛い。その辛さは確実に舞台に現れ、観客にも察せられてしまうのである。

 耕平役の佐藤昇は、80年代のシェイクスピアシアター公演での軽妙な道化役の印象が懐かしい。久々に拝見した舞台では、自分の心に語りかけるような深い声が心に残る。また奈津江役の神由紀子の登場によって、物語後半の空気が引き締まった。耕平と奈津江が、ずっと夫婦であったら?と想像するのも本作の楽しみ方のひとつであろう。

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