因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

浜田真理子X久世光彦ライブ『マイ・ラスト・ソング』

2008-11-16 | 音楽
 サブタイトルに「あなたは最後に何を聞きたいか」とある。テレビドラマのディレクターとして多くの作品を残した久世光彦が記した随筆集『マイ・ラスト・ソング』などをベースに、久世ドラマに多く出演した小泉今日子の朗読を加えて浜田真理子が歌うという試み。公式サイトはこちら。世田谷パブリックシアターで15,16日の2ステージ。

 ☆通常のライブとはひと味もふた味も違うステージです。今夜と明日は、歌われる曲も朗読の文章も違うとのこと。でもやはりここからご注意くださいませ☆

 
朗読というから何を読むのかと思ったが、公演チラシに「Text」とあって、久世の著作のいくつかが記されてあった。ステージにはグランドピアノと椅子が2脚、上手奥はバーカウンターのようになっており、下手には客席の椅子が並ぶ。小泉今日子が客席右のドアから客席最前列前を歩いてステージにあがり、下手の椅子にかける。これから始めるライブを聴きに来た一人の女…ドラマ仕立てになるのかなと予想したが、小泉が久世との思い出を語りつつステージの進行役を務めるといった趣向である。上手のバーカウンターに歩み寄り、気持ちよさそうに一服する場面もあった。休憩をはさんで2部は浜田真理子の歌のみとなる。

 この構成をどう捉えるかは難しいところだ。たっぷりの演技をする女優の朗読に、思わせぶりな物語構成にならなかったのはよかった。しかし「朗読」と銘打ちながらほとんどトークに近い部分は、いささかラフにも感じられたし、小泉今日子と浜田真理子が退場して1部終了したと思ったら、マイクを通して小泉の朗読が長く続いたのには戸惑った。久世光彦の歌への思いをあれこれイメージを思い浮かべることはできても、それをひとつひとつ具体化し、ステージに形作っていくのは容易ならざる作業だったのではないか。

 オリジナルではない曲を歌うのは、いわゆる「カバー」というジャンルになるのだろうが、浜田真理子の場合、ピアノの前奏を聞いただけでは何の曲が始まるのかわからず、歌い出してはじめて「えっ、あの歌が」と新鮮な驚きをもって素直に聴くことができるのだ。癒しという言葉を安易に使いたくないが、浜田真理子の歌声にはほんとうに慰められ、癒される。「カバー」は曲に対する歌い手の批評であり、愛情や敬意などさまざまな思いが込められた表現だと思う。聞き手は曲の知らなかった一面に出会い、新しい思い出を作っていけるのである。
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