*出演・金子左千夫(うた)、大坪夕美(ピアノ)、ゲスト/太田まり(うた) ムジカ音楽・教育・文化研究所ミニホール 7月19日のみ
オペラシアターこんにゃく座の歌役者金子左千夫が、林光、萩京子、武満徹などの歌曲のリサイタル、シューベルトなどのリート日本語訳とその演奏など、コンサート活動を継続して行っているもの。今夜はその10回め、小さな部屋は椅子席はもちろん、桟敷席までぎっしりの盛況だ。今回はとくに今年なくなった林光と、林と親交の深かった武満徹の歌曲を取り上げた。15分の休憩をはさみ、後半はこんにゃく座の後輩太田まりがゲスト出演して、会を盛り上げる。
こんにゃく座公演は自分の観劇スケジュールにほとんど欠かせないものだが、ソロのコンサートを体験するのは今夜がはじめてとなる。
武満徹に関しては、『ノヴェンバー・ステップス』に代表される現代音楽よりも、NHKドラマ『夢千代日記』のテーマ音楽の印象が強い。また東京混声合唱団(田中信昭指揮)の演奏会で聴いた数かずの歌曲もだいすきだ。とくに後者では、アンコールのときに指揮の田中信昭に促されて武満徹がステージにあがり、たしか『さくらさくら』作曲のときのエピソード(毎年田中信昭から「そろそろ桜の咲く季節です」と催促された)をあの訥々とした口調でかたり、最後は団員にまじっていっしょに歌っていたことなどを懐かしく思いだした。
『小さな部屋で』、『うたうだけ』、『死んだ男の残したものは』などは、上記の演奏会における複雑微妙な混声合唱が深く心に刻みつけられているせいか、ソロのうたには多少なじみにくい感覚があった。
このコンサート、歌う金子左千夫自身が司会進行はじめ曲の解説も行い、これが大変楽しいのである。曲のなりたちや背景だけでなく、こんにゃく座創立40周年記念書籍の宣伝に加え、小道具もでてきて?手づくりの温かみが伝わってくる。
今夜の歌のなかでは、『贖罪のうた』(作曲・林光、作詞・佐藤信)がおもしろかった。自由劇場の舞台『ザ・ショウ』の劇中歌とのことだが、神妙に許しを乞う内容が最初はばかばかしく、だんだん不気味になってゆく。いったい誰にむかって謝っているのか、ひたすら腰低く詫びているものの、心底では小馬鹿にしているようでもあり、どのような芝居なのかなどを知りたくなった。
歌はたんに歌ではなく、ひとつの劇世界を構築するものなのだ。金子が表情を変えたり、動作を加えたりする。それらが作り手の工夫や演出ではなく、歌の世界をたしかに届けようとして自然に出てきたものと感じられるのである。
アンコールは林光作詞・作曲の『がっこう』。「ご存じのかたはご一緒に」と金子が導くと、ほんとうに客席いっしょに大合唱になったのには驚いた。それもきれいな混声合唱になっているではないか。このコンサートが林光や武満徹のソングを愛し、それを歌いつづける金子左千夫を応援する多くの人々によって支えられていることを、まさに実感する瞬間であった。自分ははじめて聴く歌だったので、もちろん聴くだけでも楽しかったが一緒に歌えなかったのは残念でありました。学校は年月がたっても変わらず、帰ることができるところ・・・という内容だったろうか、こんな素敵な歌は、聴くだけではもったいない。願わくは、アンコールはまた別にして「みなでいっしょに歌う歌」として、楽譜などご用意いただけると嬉しいのですが。
ふと心が痛む。いま現実の「がっこう」はあまり素敵なところではない。友だちをいじめたり、絶望してみずから命を断つ子どもたちがいる。大人と子どもがじゅうぶんに心を通い合わせることができず、「がっこう」のなかに「けいさつ」が入らなければならないほどになっている。ああ、それと「きょういくいいんかい」という厄介で不可思議なところもあるのでしたね。
この世の学校が、林光が心をこめてつくった「がっこう」のようであったら、と願わずにはいられない。
芝居漬けの身にとっては、このうえもなく贅沢で貴重で、幸せな一夜となった。林光も武満徹も残念ながらもうこの世の人ではないが、音楽は残る。歌いつづけ、伝えつづける人がいて、聴きつづけ、受けとめつづける人がいる限り。
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