因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団フライングステージ第47回公演 子どもと大人のフライングステージ『アイタクテとナリタクテ』&『お茶と同情』

2021-06-27 | 舞台
*座・高円寺 夏の劇場05 日本劇作家協会ブログラム 関根信一作・演出 公式サイトはこちら 座・高円寺1 27日終了 (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23) 
いつもの下北沢のOFFOFF劇場より、間口の広さも天井の高さもキャパシティも大きくなった劇場で、客席数を半分に抑え、Aプロ『アイタクテとナリタクテ』(2019年初演)とBプロ『お茶と同情』(2018年初演)が交互上演された。かろうじて千秋楽のBプロに駆け込む。

 劇場の大きさによる妨げは全く感じられない。俳優はことさら声や演技を大きくしている様子はなく、客席も圧迫感のない、伸び伸びした心持で楽しむことができた。ひとつずつ開けた座席には公演ポスターや絵などをコラージュした段ボールのカバーが掛けられて淋しい空席感もなく、できれば画像を撮りたいくらいであった。

 今回の公演では本編上演前に『PINK ピンク』のリーディング上演が行われる。ケントくんはもうすぐ小学1年生。ランドセルはピンクがいい!と言うと、大人たちは一様に渋い顔。おばあちゃんもお母さんもピンクは女の子の色だからおかしい、黒にしなさいと言う。お父さんから、昔同じようにピンクのランドセルを欲しがっていた男の子の話を聞いたケントくんは、ある晩不思議な夢を見る。関根信一が地の文を読み、ケントくんは芳賀隆宏、家族や夢の中で出会う動物や少年を岸本啓孝、木内コギト、山西真帆、清水泰子が演じ継ぐ。

 LGBTの問題に入る前の助走的な作品だ。「男の子なんだから、女の子なんだから」という思想は、「男なんだから〇〇せよ。女なんだから△△してはならない」という圧力に繋がっていく。今はさまざまな色のランドセルがあり、以前ほど男の子は黒、女の子は赤という固定観念はなさそうであるが、それでももしピンクのランドセルを背負った男の子を見たら、「まあ男の子が」といった目で見てしまいそうだ。でもその子が好きで選んだ色であり、それを背負って喜んで学校に行っているのなら、「素敵ね、よく似合う」と言葉をかけたい。

 『PINK ピンク』の小学1年生の子どもがAプロの『アイタクテとナリタクテ』での小学6年生、そして『お茶と同情』の高校生へと、劇世界がゆるやかにつながっていく手応えを得た。子どもたちは、自分自身と周囲との違和感、他者との違和感に悩みながら、いろいろな出会いを経て成長、変化していく。その子どもたちによって大人もまた変わる。むしろ大人たちのほうが悪戦苦闘しており、『お茶と同情』の浅野先生(石坂純)はその代表格であろう。右往左往しながら、あるときは周囲に背中を押され、あるときは生徒の母親でレズビアンの中野さん(関根信一)の早とちりで否応なく、そしてやむにやまれぬ衝動に突き動かされるように自分の殻を破り、より自然に生きていく様相は、見るものに喜びを与える。

 子どもも戸惑うが、大人だってそんなに自信を以て振舞えない。ならばいっしょに悩み、考えてみよう。そこから始まるのだと思う。教育実習生の藤原くん(井手麻渡)が自分がゲイであることを生徒たちに話したいと申し出たとき、猛反対した副校長(中嶌聡)が、ことあるごとに驚き慌てながら、少しずつ柔らかな心になったように。

 当日リーフレットに主宰の関根信一が記した言葉を読み返す。「演劇はメッセージをつたえるためのものではなく、人を描くもの」。舞台に描かれている子どもや大人は、かつての自分であり、今の自分、これからの自分だ。関根はカーテンコールで「今日ここでお会いできたことを嬉しく思います」と挨拶した。フライングステージの芝居を観ると、劇世界の子どもや大人に出会いながら、いつのまにか自分自身に出会っていることに気づく。そこには楽しみだけでなく怖さや情けなさもあるが(なかなか成長しませんもので)、それも含めて芝居を観る喜び、生きる喜びに繋がっていくのである。
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