*柴幸男 作・演出 公式サイトはこちら 三鷹市芸術センター星のホール 5月1日まで このあと全国ツアーあり (1,2,3,4)
2009年10月同じ星のホールで初演され、「初日の幕が開いた瞬間から、観客、批評家より圧倒的な支持を受け、千秋楽には当日券を求める観客が長蛇の列を作った」とのこと(公演チラシより)。翌年は岸田國士戯曲賞を受け、早々と再演の運びとなった。もう一度みたい、初演を見逃したので今度はぜひ等々の期待が高かったのであろう。今回は星のホールで半月の公演のあと、三重、名古屋、北九州、伊丹、いわきの5箇所を巡演するという大きな企画になった。
円形の演技エリアを客席が四方から囲む作り。ワイルダーの『わが町』に触発された作品とのこと。天体としての地球の営みを、ある家族に生まれた少女ちーちゃんの誕生から死までになぞらえ、月ちゃん(月のことですね)との出会いと別れ、ちーちゃんをずっと観察していた少年との邂逅を、軽快な音楽やラップ調の台詞、簡単そうにみえるがおそらく意外にむずかしいと思われるダンス(というのでしょうか)で描かれるおよそ80分の物語だ。
星のホールの空間を巧みに使い、音楽や照明、俳優の動きも生き生きとして緩みがなく、自分は初演を見逃したが、再演にあたってより精度を増していると想像される。
しかしどういうわけか、自分はこの舞台を楽しめなかった。舞台そのものも、本作が絶賛されることにも実感がわかないのである。
これまでみた柴幸男作品の記事を読み直してみると、はじめの2本まではわりあい新鮮な印象をもって自分にしては素直に楽しみ、3本めあたりからみるみる相性が悪くなっていることがわかる(苦笑)。かりに今、はじめの2本をみたとしたら、初見のときのわくわくするような気持ちにはおそらくなれないだろう。
柴幸男は「時間」をどのように描くかを考えている人だと思う。人ひとりが生きる数十年から宇宙単位の何億年、何万光年の営みにいたるまで、劇場という空間において、2時間たらずの時間のなかで、生身の存在である俳優、舞台美術や音楽、照明などすべてを駆使し、さまざまな趣向を凝らして、演劇の可能性を追求している。
自分のこの不完全燃焼感は、人物の対話がじゅうぶんに聞けないこと、たったひとつの言葉で2人の関係が大きく変わることがあるいっぽうで、饒舌に語り合っても関係や状況がほとんど変わらなかったりもする。その醍醐味、対話のおもしろさが感じられないためではないかと思う。80分の上演時間が長く感じられ、個々の場面についても冗長な印象があった。上演前ばかりか、あいだにもスタッフの挨拶風にみせて「あと4秒後にはじまります」云々があって、それらを新鮮で工夫があっておもしろいというより、「劇そのものに必要かしらん」と疑問に思うのだ。
岸田國士戯曲賞選評を読むと、各審査員の「戯曲に何を求めるか」が伝わってきて興味深い。その表現もさまざまで、そのなかで柴幸男の『わが星』が支持された。改めて、戯曲とは奥深いものだと思う。自分は柴作品の手法的な面、凝った趣向につまづいて楽しめないでいる。この状態を率直に認めた上で、今後の対策を(笑)考えよう。「わたしの好みじゃありません」と片づけるのは簡単だが、逃げこむようで悔しいではないか。答を出すのはまだ早い。もう少しがんばってみよう、因幡屋。
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