*福田恆存作 菊池准演出 三百人劇場
まるで昼ドラのような題名だが、67年に初演された福田恆存の喜劇である。「バーナード・ショウによる」と角書きがついており、ショウの戯曲を基に書かれたもの。父親の莫大な財産を受け継いだ弥生(一柳みる)は才色兼備で空手4段、しかし女らしさがないのが欠点である。音楽家の瀧(田中正彦)と結婚したが、彼は才能に乏しい上に愛人宅に入り浸り。弁護士(水野龍司)に「夫には1円の財産も渡さない」という遺言状の作成を依頼しにきた弥生のもとに、夫が愛人を伴って現れ、そこに弥生の愛人もやってきて大騒ぎになる。
時代を現代に置き換え、「コンビニ」という台詞、舞台にはパソコン、弥生の夫にヨン様風の格好をさせたりしているが、その意図が不明で効果をあげているかどうかは疑問であるし、ここまでしてケータイが全く出てこないのは逆に不自然である。上演台本を買って、帰りの電車で一気読みする。金か愛か、ほんとうの幸せは何か、何が男を男として、女を女として生かすのか。テーマは全く古びておらず、喜劇とはいっても相当に重たい内容で、台詞のひとつひとつが容赦なくぶつかってきて、「あなたはどう思う?」と問いかけてくるかのようだ。台本に手を入れずに、真っ向勝負でみたかったと思う。
さらに驚いたのは弥生の年齢が28歳であることだ。演じる一柳さんは確かにあでやかで美しく、億萬長者夫人の風格を感じさせるが、どう拝見しても28歳には見えず、そうすると弥生の苦悩(性的欲求不満、男性観、父への偏愛)の色合いや深刻さがずいぶん変わってしまう。弥生は瀧と結婚して3年だというではないか。たった3年で、しかもまだ28歳なのに?
弥生には美貌と才知、財力があって、ないのはただひとつ「女らしさ」だという。では女らしさとは何だろうか?
文学座の『女の一生』で、愛のない結婚生活に倦んだ夫から「おまえには女として必要なものが欠けている」と言われたヒロインの布引けいのことを思い出した。女らしさとは容貌の美しさでも和服を着こなす粋でもなく、相手を大切に慈しむまごころのことだと思う。女としてというより、人間として必要なものであろう。「女を本当の女にしてくれるのは、誰でもない、男なのよ、本当の男なのよ。」終幕の弥生の台詞は痛々しい。この台詞をたとえば松たか子や、思いきって仲間由紀恵で聞いてみたくなり、深夜に台本を読み直している。
まるで昼ドラのような題名だが、67年に初演された福田恆存の喜劇である。「バーナード・ショウによる」と角書きがついており、ショウの戯曲を基に書かれたもの。父親の莫大な財産を受け継いだ弥生(一柳みる)は才色兼備で空手4段、しかし女らしさがないのが欠点である。音楽家の瀧(田中正彦)と結婚したが、彼は才能に乏しい上に愛人宅に入り浸り。弁護士(水野龍司)に「夫には1円の財産も渡さない」という遺言状の作成を依頼しにきた弥生のもとに、夫が愛人を伴って現れ、そこに弥生の愛人もやってきて大騒ぎになる。
時代を現代に置き換え、「コンビニ」という台詞、舞台にはパソコン、弥生の夫にヨン様風の格好をさせたりしているが、その意図が不明で効果をあげているかどうかは疑問であるし、ここまでしてケータイが全く出てこないのは逆に不自然である。上演台本を買って、帰りの電車で一気読みする。金か愛か、ほんとうの幸せは何か、何が男を男として、女を女として生かすのか。テーマは全く古びておらず、喜劇とはいっても相当に重たい内容で、台詞のひとつひとつが容赦なくぶつかってきて、「あなたはどう思う?」と問いかけてくるかのようだ。台本に手を入れずに、真っ向勝負でみたかったと思う。
さらに驚いたのは弥生の年齢が28歳であることだ。演じる一柳さんは確かにあでやかで美しく、億萬長者夫人の風格を感じさせるが、どう拝見しても28歳には見えず、そうすると弥生の苦悩(性的欲求不満、男性観、父への偏愛)の色合いや深刻さがずいぶん変わってしまう。弥生は瀧と結婚して3年だというではないか。たった3年で、しかもまだ28歳なのに?
弥生には美貌と才知、財力があって、ないのはただひとつ「女らしさ」だという。では女らしさとは何だろうか?
文学座の『女の一生』で、愛のない結婚生活に倦んだ夫から「おまえには女として必要なものが欠けている」と言われたヒロインの布引けいのことを思い出した。女らしさとは容貌の美しさでも和服を着こなす粋でもなく、相手を大切に慈しむまごころのことだと思う。女としてというより、人間として必要なものであろう。「女を本当の女にしてくれるのは、誰でもない、男なのよ、本当の男なのよ。」終幕の弥生の台詞は痛々しい。この台詞をたとえば松たか子や、思いきって仲間由紀恵で聞いてみたくなり、深夜に台本を読み直している。
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