因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

serial number 07『Secret War ひみつせん』 

2022-06-17 | 舞台
*詩森ろば作・演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターウエスト 19日終了
 本作の舞台は、かつて秘密戦という名の科学戦争のための研究が行われていた第九陸軍技術研究所、通称「登戸研究所」である(劇中では「登沢研究所」)。現在は「明治大学平和教育登戸研究所資料館」となり、企画展や講演会などが開催されている。物語は、研究所で和文タイプを担当する村田琴江(三浦透子)たち女性タイピスト、研究者たち、責任者、陸軍中野学校から派遣された将校が登場する戦争中の場と、2001年、科学ライターとして中国・北京を訪れた津島遥子(三浦2役)が中国の研究者・王浩然(大谷亮介)が語り合う場が行き来しながら進行する。映画『ドライブ・マイ・カー』の寡黙なドライバー役で多くの映画賞を受賞した三浦透子の舞台を観るのはこれがはじめてだが、詩森ろばの作品との縁は2019年の『機械と音楽』(未見)からとのこと。

 舞台中央の机に古ぼけたタイプライターが置かれている。その奥にくすんだ灰色のテーブルと椅子が数脚あるだけの無機的な舞台である(杉山至+鴉屋)。テーブルをつなぎ合わせ、研究所近くの料理屋の一室と廊下に見立てたり、若者たちが座って語り合ったりなど、自在に変容する。王浩然が琴江にトレンチコートを着せることで、遥子との場面が始まるなど、わかりやすく丁寧な運びである。

 公演チラシに詩森が「歴史劇を初めて書いたのは、樺太の残留朝鮮人についての『記憶、或いは辺境』という作品」と記している。2004年初夏のことだ。わたしにとっては、これが詩森ろば作品2本めの観劇で(2012年秋 再演)、詩森ろばという劇作家との出会いとして強く心に刻まれている作品である。以来、次々と上演される新作に足を運び、楽しめるときもあれば、作風の変化に違和感を覚えることもあった。ここ数年の作品でブログ記事を書いていないものもある。劇中にしばしば歌やダンス、場面転換時のムーブメントなどが多用されることへの困惑が理由のひとつであろうか。メッセージをわかりやすいイメージで提示するために効果的であり、俳優陣も達者で見応えがある。しかし「これらが無くても伝えられる劇作家ではないか」との思いが沸いたのは確かで、さらに俳優の演技がいささか強すぎ、引いてしまうことも多々あった。

 公演パンフレットに「物語も演出もシンプルを心掛けた。ギミックでねじ伏せるように作ってきたこの10年を一回りリセットして(中略)、ゴロッと演劇と俳優だけがそこにあるようなものを創りたいと思ったのだ」と詩森が記しているのを読んで、ああ、わたしの違和感の理由はここだと合点がいった次第。

 全てを知っている将校の浦井(佐野功)、上層部に従いながら部下への配慮を忘れない責任者の伴野(松村武)、戦後はアメリカで活動し、したたかに生き抜く研究者山喜(森下亮)、朝鮮は釜山で牛の免疫実験を担当した市原(坂本慶介)、中国の南京で抗日運動をした中国人捕虜に毒物を投与する実験を行った桑沢(宮崎秋人)。ひとくちに戦争体験といっても、その人の住む場所、年齢、仕事、環境によって異なること、同時代に同じ職場に居たほどの近しさであっても共有には困難が伴うこと、これを運命といっては痛まし過ぎる人もあって、まことに容赦ない。タイピストの女性3人(三浦、北浦愛、ししどともこ)にしても同様だ。

 淡々と進行する物語に、王浩然と遥子の場面がよきアクセントになり、現在の観客との橋渡し的役割を果たす。遥子が琴江の孫であり、王が実は…というあたりは作劇の巧さであるが、女だからと科学への探求心を封じられていた琴江は戦後理科の教師となり、たくさんの子どもたちに科学の楽しさを伝えたという。どんな男性と結婚したのかは知りたいところだ。また遥子と王の立ち位置は2001年で、アメリカで同時多発テロ事件が起こったところで終わる。そこから現在までさらに20年があることを考えると、余白を残した作品ではないかとも思われる。

 観劇日は前述の明治大学平和教育登戸研究所館長の山田朗教授をゲストにアフタートークが行われ、好奇心、探求心あふれる詩森ろばとの話が弾んだ。同資料館は戦争加害について、いわば負の遺産を保存、展示するという、世界でも珍しい施設である。戦中はもちろん、戦後も沈黙を守ってきた方々の苦しい胸の内、重苦しさはひしひしと伝わるが、それだけではない。関わる方々の「次世代に残したい、伝えなければ」という意志と熱意ゆえか、また山田館長によれば、かつて所員だったという方が資料館を訪れ、「こういう資料館ができたということは、もうしゃべってもいいのですね」とおっしゃったとのこと。この言葉に象徴される一種の解放感ゆえか、非常に前向きな空気があって、行くたびに活力と癒しが得られるのである。
 
 登戸研究所の名こそ出なかったと記憶するが、風船爆弾作りに勤しんだ女学生と、それによって命を失ったアメリカの子どもたちを描いた『グロリア』(早船聡作・演出 2010年10月上演 ハイリンド✕サスペンデッズ 2020年3月の再演はコロナ禍で中止)や、無添加化粧品会社を設立する女性たちを描いた『紅の舞う丘』(詩森ろば作・演出 2007年4月上演)で、科学と会社経営のはざまで賑やかに奮闘する舞台を思い出す。桑沢が語る人体実験の凄惨な現場の話をうっかり聞いてしまい、衝撃のあまり座り込みながらも、科学への興味を失わない三浦透子演じる琴江には、これまで観て来たさまざまな作品の人物の表情や言葉を想起させ、忘れられない舞台となった。
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