*長田育恵作(1,2,3,4,5,6,7,8) マキノノゾミ演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターイースト 21日まで 今月はじめに石川県の能登演劇堂で初日の幕をあけ、東京公演のあとは7月まで全国を巡演する。
グループる・ばるは、俳優の松金よね子、岡本麗、田岡美也子による演劇ユニットで、当日リーフレットの挨拶文の通り、「これまで自分たちと等身大のテーマで芝居を創りつづけてきた」グループである。今回は詩人の茨木のり子の人生とその詩の世界をモチーフにした、いわば評伝劇を上演することになった。戯曲は、井上ひさしに師事し、江戸川乱歩、金子みすゞ、宮本常一など歴史上の人物の歩みに焦点をあて、詩情あふれる温かな舞台の書き手として活躍中の長田育恵、演出はマキノノゾミで、評伝劇としては青年座の『MOTHER』が印象深い。
茨木のり子の生涯を時系列に沿って描かず、彼女の死後、ゆかりの人々が最後の作品を探してうちにやってくるところにはじまり、しかも舞台には「ノリコ」を名乗る女性が次々に3人も登場する。ずっとうちにいる男性は夫なのか、いや夫はずいぶんまえに亡くなったはずだが?と観客に疑問や困惑でなく、「これからどんな物語が展開するのか」と期待を持たせる構成であり、る・ばるの3女優はじめ、客演の俳優もそれぞれの持ち場を的確に把握し、担った役柄を誠実に演じている。
対象となる人物に真正面から誠実に向き合った戯曲であり、その劇作家の心意気を受けとめ、「よい芝居にしなければなりません。絶対に」(公演チラシより)との決意に違わぬ演出、そしてそれに応える俳優陣の演技で、非常に好ましい舞台となった。夫のようにみえた男性(小林隆)は、過去の場面で夫役も演じるのだが、のり子をずっと見守ってきた蜜柑の木の精として、あまり表に出ない進行役をつとめる。終盤いささか情緒過多というのか、間延びした印象があったのは残念で、あとひと息引き締めて、すっきりした幕引きになれば。
この日はアフタートークが行われ、本来なら出演者ぜんいんが登壇する予定だったらしいが、岸田葉子(谷川俊太郎夫人だった岸田衿子←訂正いたしました:を思わせる)役の木野花が「エステやら整体やらとスケジュールをダブルブッキングしてしまって」(松金さんコメント)、替わりに何と、詩人の谷川俊太郎さんご本人が登壇されるという嬉しいハプニングがあった。劇中、若いころの谷川氏が髪はリーゼントスタイルに、黄色い上着を着こなして自信満々に振舞う造形だったことに触れ、「ぼくはあんなじゃなかったよ」。それに対して演じた岡田達也が「あくまで演出なので」と申し訳なさそうに弁解したり、じっさいの茨木のり子を知る人ならではのお話が聞けて、にぎやかな楽しいひとときになった。
この舞台をみた人は、ほぼまちがいなく茨木のり子の詩を読みたくなる。そして、「わたしが一番きれいだったとき」、「倚りかからず」を読むと、紙面に書かれた詩のことばが動き出し、今回の舞台で3人の「ノリコ」たちが静かに読みあげる情景が浮かび上がるだろう。
アフタートークに登壇された谷川俊太郎さんが、たしか「僕の●番目の奥さんが」という話をされて、混乱してしまったようです。
またぜひ因幡屋ぶろぐへお立ち寄りくださいませ。
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