因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『Blackbird』

2016-03-19 | 舞台

*デヴィッド・ハロワー作 小田島恒志翻訳 荒井遼演出 公式サイトはこちら 千歳船橋・APOCシアター 21日まで
 2007年ローレンス・オリヴィエ賞をベストプレイ賞を受賞したデヴィッド・ハロワーの作品だ。2009年夏に本邦初演となった世田谷パブリックシアターの舞台は、残念ながらしっくりしない印象であった(こちら)。と、改めて読み直すとこれがほとんど投げ出しの文章だ。舞台美術が無機的であることにつまづき、その違和感のために数ヶ月後に発行した因幡屋通信33号に、「戯曲(ホン)に帰ろう」と題して多少長い文章になってはいるが、やはり楽しめなかったことの理由を書き連ね、舞台への手ごたえを探るために「戯曲(ホン)に帰ろう」とまとめている。いやはや、お恥ずかしい限り。

 APOCシアターでの上演は、たまたまチラシを見て知った。あの『Blackbird』。7年前自分自身が通信に書き、決意したことをしっかり覚えていれば、即座に観劇を決めたはず。自分が通信やブログを書くのは、その日その場かぎりで消えてしまう舞台を、客席から見聞きし、感じたことを言葉にすることによって残したい、伝えたいからだ。しかしその一方で書くことによって「忘れる」、「いったん置く」、作品によっては「これ限りにする」といった感覚があることは否めない。『Blackbird』は覚えていなければならない作品であった。にも関わらず、自分は7年間それを怠っていたのだ。宿題を忘れて遊び呆けていた小学生の気分である。

 小田急線の千歳船橋駅から徒歩3分のAPOCシアターは、建物のかたちがケーキに似ていることから(A Piece Of Cake)命名されたという。「貸し劇場としてだけではなく、さまざまなアートやアーティストが交流できる場をコンセプトに、夫婦で立ち上げた一軒家のカフェシアター」とのこと、ここにも高い志とやわらかな感覚で、創造者を応援する場があるのだと嬉しくなった。
 2階の劇場は、舞台の作り方によって変わるだろうが、客席はおよそ50前後であろうか。確かに小さいが、わりあい天井が高いこともあって圧迫感がない。『Blackbird』には適した空間だと思う。15年前、未成年者への行き過ぎた行為で罪に問われたレイ(大森博史)の職場に、その相手であり、当時12歳だったウーナ(中村美貴)が訪ねてくる。動揺を隠せないレイに、ウーナはあのときのふたりの関係、出来事、あれからの日々を確証すべく、ことばを、心をぶつけてくる。

 ただ今回非常に驚いたのは、俳優の台詞の言い方、声の出し方がちょっとどうかと思うほど強く、大きかった点である。冒頭、ウーナが発する「ショック」に対し、レイは「ああ。もちろん。今ー」と応える。ここからすでにふたりともがなりたてるような大声なのである。なぜだろう。終幕に近づき、互いの長い独白になると落ち着いた静かな口調になる。この落差を示したいのか。またウーナの化粧や話し方、ふるまいがいささか過剰なあばずれ風の造形であることにも大いに困惑した。
 しかし1時間40分を気の緩むことなく、しかも物語の結末を知っているにも関わらず(最後の最後にとんでもないことが起こる)、自分は緊張感をもって見守ることができたのは幸いであった。
 レイとウーナとでは、自分の名前に対するこだわり、認識にちがいがある。事件後、レイは名前も住む場所も変えて新しい人間として生きようともがいている。だがウーナは同じ町で、周囲の好奇と蔑みに耐えてきた。改めて戯曲を読み直すと、ウーナは「レイ」と何度か呼びかけるが、彼は一度も彼女の名前を呼ばないのだ。だから観客が彼女の名前を知るのは最後に登場した人物が「この人誰?」と問いかけるのに対し、彼女自身が「ウーナ」と答えるだけなのである。レイが過去のことを振りかえる台詞のなかで、昔2,3ヶ月だけつきあった女性を「名前も覚えていない」と言うことにも関連があるかもしれない。また本作はイギリスで映画化される由、その題名が『Blackbird』ではなく、『Una』であるのは、象徴的なことであろう。

 たとえば見る者を拒まず、さまざまな見方を懐深く受け入れる戯曲がある。それに対して『Blackbird』は「拒む」というほどではないにしても、決してわかりやすいものではない。安易な解釈や自己中心の思い込みは、劇が進むうちに次々と消されてしまい、観客は迷い、悩んだ末に放り出されるのである。

 しばらくは戯曲を読みかえす日々になるだろう。そしていつの日か、別の座組みで本作を見る機会が訪れたとき、「少し理解できたのでは」という微かな喜びを感じたとたん、劇世界との新たな距離に挫折感を覚えるのではないか。なかなか確かな手ごたえを得られないこと、それでもこの作品から離れられないこと。もしかするとこれこそが『Blackbird』の魅力であるのかもしれない。

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