*太宰治作 養父明音演出 宮嵜明理プロデューサー 新井ひかる(文学部卒)テキスト 井上優(明治大学文学部教授)テキスト/総監修 公式サイトはこちら 明治大学猿楽町第2校舎1Fアートスタジオ 10日終了 これまでのラボ公演については、2022年9月観劇の『短夜、夢ふたつ』のblog記事にリンクあり。
本作は2017年夏、MSPインディーズ・シェイクスピアキャラバン公演で観劇し、良き手応えを得ている(blog記事)。11月の本公演『ハムレット』の前哨戦となる今回の公演は、悪天候の中金曜夜に開幕、盛況により増席の上に追加公演が決まり、土日は11時/14時/18時の3公演となった。
スタジオの中央にパッチワークのような模様のカーペット(いわゆる絨毯ではなく、もっと硬いものであろう)が敷かれたところが演技スペースだ。それを囲むように客席が作られている。カーペットを挟んで向かい側の観客の顔も見えるほどで(=こちら側も見られている)、俳優はもちろん観客も逃げ場がない状態なのだが、天井が高いこともあって閉塞感はない。
中央の小さな台に『新ハムレット』の本が置かれている。スマホを持った若者が登場した。写真入りのキャスト紹介のある当日パンフレットによれば、彼はハムレット役である。寝転んでスマホをいじりだし、「課題やりたくねぇ…」とつぶやく。現代の大学生であろうか。やがて彼は『新ハムレット』の「はしがき」(太宰治による自作の解説)を読み始めた。現代の若者=ハムレット=太宰治という趣向か。
観劇のたびにblogにも記していることだが、現役大学生たちは皆達者な演技を見せる。同年代の座組で父親母親、老人役、性別が逆の配役もあるが違和感はない。年齢相応の若者役を見ると、プロの公演の年齢層がいかに高いかを実感する。逆にほんとうに大学生かと思うほど貫禄を見せるキャストもいる。しかし嫌味がない。これが大きな特徴であり、不思議な魅力である。
本公演の場合、アカデミーコモンという大ホールでもあり、しっかりと濃いめの舞台メイクをしているが、ラボ公演はかつらや衣裳、メイクもわりあいナチュラルな作りだ。白髪のかつらや顔に皺を描いたりせず、声を変えることもしないが、ちゃんと父親、母親、叔父に見えるのである。
たとえばガートルードはすらりとした長身、いかにも高価なブランドものらしき衣裳を見事に着こなす美女だが、ハムレットの「お母さんは総入れ歯だぜ」の台詞を聞くと、「そうなのか」と納得できるのである。また叔父であり、新しい王となったクローディアスは腹黒い策略家であることを隠さないイメージだが、今回は甥のハムレットから「山羊のおじさん」と綽名されたことが不思議でないほど色白の細身である。口調も優しく丁寧で穏やか、およそクローディアスらしくないのだが、後半ポローニアスと対峙するあたりで一変する。この変貌ぶりがありきたりでなく(もっと具体的に記したいのだが)、「ほんとうに怖いのはこういう人物では?」と背筋が寒くなるほどであった。そしてポローニアスは、対話する相手によって態度をくるくると変え、老練、狡猾、滋味などさまざまな色合いを持つ人物だが、彼もまた技巧に走らず、最後の現代の父親となった場面の台詞が活きる。
冒頭に現代の若者、終幕にその父を登場させた趣向と演出には賛否があるだろう。太平洋戦争開戦の直前に発表されたという背景や、作家の思惑が反映されていないという見方もある。しかし自分は数百年前の若者の憂鬱と挫折が、太宰治の筆を経て現代の不安に転化したと捉えてみたい。「課題をやりたくない」は、新たなる戦前とささやかれる今、「戦争をしたくない」の意か?と考えるのは深読みのしすぎかもしれないが。
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