*フランソワ・オゾン監督・脚本
「分かれ路」は「わかれみち」と読む。
ある夫婦が離婚調停の事務手続きをする場面に始まり、ふたりの出会いまでが時間を遡る形で描かれる。
離婚成立後の悲惨なセックス、夫の兄とその恋人(男性)を招いたホームパーティの夜、孤独に耐えた出産、結婚初夜のアバンチュール、そしてふたりの恋がはじまったイタリアの海。
十年以上も前に見たハロルド・ピンター作の舞台『背信』(デヴィッド・ルヴォー演出)を思い出した。
これも一組の夫婦の数年間が時間を遡って描かれる。「この台詞がさっきの場面の伏線になるのか」と随分緊張しながらみた記憶がある。
映画の5つのスケッチの中には相当なエピソードもあるが、「これこそが別れを決定的にした原因だ」と観客に認識させるような描写はされていない。何が起こったのかはわかるが、それが彼らの心にどんな影を落としたのか、なぜ互いの心が離れていったのかはわからない。
いや、もしかすると本人たちすらわからないのかもしれない。
時間を遡るにつれて妻の表情が明るく美しくなる。特に出会いの場の生き生きした笑顔が素晴らしい。単純に若くて屈託がないというわけではなく、直前に恋人と別れたこともさらりと話すし、リゾート地で一人旅を自然に楽しめる大人の女性なのだ。それが数年後には暗い表情でからだつきも緩み、やりなおしたいと懇願する男を無表情に一瞥して立ち去ってしまうのである。
「2人の関係は終わりを迎えるわけですが、それを悲劇だとは思いません。重要なことはそれを経験したということです。」
パンフレットに掲載されたオゾン監督の言葉である。
人は時間を遡ることはできない。
映画や演劇だからこそ、可能な表現である。人はそこに自分がたどったあのときの時間を思い起こす。
本作を見終わって、人生の虚しさや無惨であることを考えて悲しくなったが、時間がたつとしみじみと優しい気持ちも沸いてくる。
オゾン監督の「経験したことが重要なこと」
私も映画を観ていてそう思いました。
どんな経験も無駄にはならない、と思いましたね。
コメントありがとうございます。公開がもうすぐ終わるというのに空席の多い館内でしたが、みた人の心に深い印象を確実に残す作品ですね。何年かたって、もう一度みたいと思いました。