因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ドナルカ・パッカーン公演『女の一生』

2019-11-06 | 舞台

*森本薫作 川口典成演出 公式サイトはこちら 上野ストアハウス 10日まで 
 公演チラシにもチケットにも『女の一生』の題名に添えて、「戦時下の初稿版完全上演」「日本文學報國會による委嘱作品」の文言が記載されており、これが文学座でも劇団新派でもない、ドナルカ・パッカーンによる上演の志と受け止めた。「日本文學報國會」とは、「戦時下の国策プロパガンダ組織」とチラシに説明されている通り、第二次世界大戦下、文学活動に対する国家統制の手段としての組織である。『女の一生』の初演版は戦争の末期に書かれた戦意高揚劇であり、敗戦間近の1945年の4月に上演された。敗戦後、今度はGHQの検閲を通って再演され、
作者の森本薫が亡くなってからも改訂、補訂を繰り返して現在に至る歴史がある。本作上演についての詳細なブログがあり、初演版の底本、森本薫作品の句読点の特徴など、読み応えがある。

 昭和17年正月に始まり、明治に戻って時系列に進み、再び冒頭の昭和17年で幕を閉じる初演版は、主人公の「布引けい」が杉村春子から平淑恵に手渡された96年の上演を見て以来となる。

 舞台中央に大きな台が置かれ、左右に椅子が数脚。出番のない俳優がここで待機する。大道具は襖の大きさの板が2枚、あとはけいが座る椅子、多少の小道具はあるが、ほとんど裸舞台に近いシンプルなステージである。けいとその義母になる堤しずは和服姿、堤家の次男栄二の娘たちはチャイナ服や、ややレトロな洋服だが、概ね現代のラフな服装で登場する。

 今回の舞台の印象を記すのは非常にむずかしい。上記にリンクしたブログを読むと、本作に対して並々ならぬ心意気で臨んでいることが伝わる。女性の役を男性俳優が演じたり、その反対があったり、大柄な設定の人物を小柄な俳優が演じるなど、俳優の個性と役柄の捉え方が、いわゆる新劇のリアリズム演劇とは大きく異なる意識で配役されている。俳優の演技にもそれは現れており、冒頭では普通の口調だったけいが、初めて堤家に迷い込む場面では台詞の言い方も動作もぎくしゃくしていたり、そこに演出のどんな意図があり、どのような効果をもたらしているのかを掴みかねる場面は多々あった。また初日の緊張のゆえか、台詞の間合いや呼吸に不安定なところが散見したのも残念である。

 ただ、文学座の舞台を何度も観劇したことによって形成されている作品観(昨年上演のブログ記事はこちら)、この人物はこんな性質、演じるならこういうタイプの俳優…といった既成概念から離れ、『女の一生』という作品そのものと向き合っている感覚を得たことは確かである。

 昭和17年の正月という冒頭の設定、中国人の母を持つ栄二の娘たちが無邪気に日本を称え、伯母のけいを慕う様相を、空襲警報でたびたび中断されながら観劇した昭和20年4月の観客は、また舞台の作り手は、どのような心持だったのであろうか…等々、ともすれば財産演目を継承する俳優の演技に目を奪われがちな自分を、少し距離のあるところへいざなう不思議な力を持つ、もうひとつの『女の一生』であり、「何度でも『女の一生』」と、つい前のめりになる自分への大いなる収穫であった。 

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