因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

対談:瀬戸山美咲&三原由起子「福島原発とわたし」

2012-01-19 | 舞台番外編

*1月19日 東京工業大学西9号館(大岡山) 公式サイトはこちら
 劇団ミナモザを主宰する劇作家・演出家の瀬戸山美咲氏(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14)と、福島県浪江町出身の歌人・三原由起子氏が、東京工業大学外国語研究教育センターの主催で対談を行った。司会進行は同大学准教授の谷岡健彦氏。
 場所を激しく勘違いして約5分遅刻。大失敗。まことに申しわけありません。ほんとうに自己嫌悪・・・。振り返ると東工大の催しにはこれまで何度か(1,2,3,)伺っており、貴重な時間を与えられていたことがわかる。

 昨年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故は、多くの創造者に衝撃と苦悩を与えた。
 瀬戸山さんは昨年9月『ホットパーティクル』(当方の劇評はこちら)において、震災後の劇作や恋愛にもがく自分のすがたを舞台にさらけ出した。三原さんは実家が福島第一原発から10キロ圏内にあり、家族は原発被害のただなかにあって、短歌の連作「2011年3月11日以後のわたし」を発表している。
 震災を機に夥しい数の詩や歌や音楽などが作りだされているが、今夜は同世代の女性創造者が互いの表現活動について語りあった。

 対談は3月11日にどのような状況であったかを話すところからはじまり、つぎに瀬戸山さんが『ホットパーティクル』の一部を、三原さんも自作を朗読して、互いの創作が震災を機にどのように変化したかが語られた。
 新聞や雑誌の記事を読み、テレビの報道番組もみてはいるものの、まさに被災され、8カ月が経ったいまも困難のなかにある方を間近にみて肉声を聴く機会はほとんどなかったといってよい。同じ被災地にあっても世代間で、あるいは地元に残る人とほかの土地に移る人とのあいだで深刻な断絶があることを聞くと、この国が与えられた困難がいかに甚大であるかを思い知らされる。

 三原さんの話で興味深かったのは、以前から「原発が爆発したら死ぬしかないな。でもだいじょうぶだろう」という地元の感覚や、地方は男社会であり、そこで生きる閉塞感など、震災までは心の奥底に潜んでいたり、いたしかたないと受け入れていたことがあぶり出され、表現において強い気持ちをもつようになったということであった。

 結婚して東京から北関東に移った友人のことばを思い出す。震災の被害や原発の影響もほとんどない町は平穏であり、「この町にはいろんな環境や立場があるという前提でものごとを広く考える人がいない。自分がよそ者であることを思い知らされる」。
 友人の住む町もまた、自分たちが「だいじょうぶそう」であればほとんど関心を持たず、一大事となればムラ社会、男社会の論理でものごとが運ばれてしまうのだろうか。

 ひとりひとりに環境や立場があり、よいと思ってしたことが相手を傷つけたり(三原さんの短歌より「脱原発デモに行ったと『ミクシィ』に書けば誰かを傷つけたようだ」)、逆に何気ないひとことが相手を救うこともある。
 創造活動の場合、称賛が降り注ぐことと、四方八方からバッシングされることは紙一重である。
 しかし完璧な配慮をしてすべての人を幸せにすること、すべての人に受け入れられることは、そうしようとする努力は貴いにしても非常にむずかしく、考え過ぎてがんじがらめになり、何もできなくなる。できうる限り想像力を働かせると同時に、少々のことがあってもくじけず自分の思いを作品にしていく強靭な精神が求められており、受け手もまた多くのものを広く受けとめ、深く考えることが必要だ。

  さて、次に書くことは非常に野暮で失礼で見当違いかもしれず、関係された方々が不快に思われるかもしれませんが、どうしてもしっくりしない感覚があるので敢えて書きますね。お許しください。

 民間企業が企画を立てる場合、「費用対効果」の1点を避けて通ることはできない。まず確固たる目的があり、どれだけの費用が必要で、その結果がこれだけ見込まれるということを周囲が納得しなければ企画は実現せず、何より必ず成果を出さねばならない。
 効率と実利、需要と供給の絶対的な支配から身を引いた状況であっても、その感覚から完全に抜け切ることはむずかしい。
 これらのぎすぎすしたあれこれに思い煩わされることなく、静かに聴き、語りあい、考える場があることは幸せだ。昨年秋から参加している「ドラマを読む会」はまさにそういう交わりである。
 今回の催しにしても、瀬戸山美咲さんの次回作はますます楽しみになり、三原由起子さんの短歌もこれからぜひ読んでいきたい。しかし遅刻したために、冒頭の主催者側のお話を途中から聞いたせいもあるが、本企画の意図がどこにあるのか、聴衆をどのように想定しているのか、ここからどのように展開させようとしているかがいまひとつ伝わってこなかった。
  聴衆はおよそ20名であったろうか。直接間接の知り合いが多いと思われるから、アンケートをとる必要もないかもしれないが、なかには誰の知り合いでもなく、今夜はじめておふたりの活動を知った方もあったのではないか。
 舞台『ホットパーティクル』がおふたりを出会わせた機会であったらしい。そのごく個人的な出会いやそこで交わされた会話が、もっと多くの人にとっても有意義だと実感されたからこそ、今夜の企画に発展したのであろう。その実感をもう少し確かな手ごたえをもって共有したかったのだ。
 
 入場無料で予約も不要のゆるやかな催しは貴重であるし、たいへんありがたい。
 今夜の対談が聴衆にどのように受けとめられたかを主催者側が丁寧に吸い上げて、次回の企画に活かしてゆかれることを望んでいる。

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2 コメント

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昨日は寒い中、お越しいただきましてありがとうご... (三原由起子)
2012-01-20 15:46:29
昨日は寒い中、お越しいただきましてありがとうございました。
また、丁寧に感想を書いていただき感謝しております。
ご指摘、ごもっともだと思います。
あっという間に時間が過ぎてしまい、私自身びっくりしたのですが、
私の言葉足らずだったり、話しがうまくできなかったりと、お聞き苦しい点も多々あったかと思います。
今後、そういう機会がありましたら、ご指摘いただいた点をぜひ踏まえて、
少しでも多くの方々に伝えることができればと思います。
真剣に聞いていただいたからこそのご指摘、本当にありがたいです。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
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三原由起子さま (因幡屋(宮本 起代子))
2012-01-22 21:46:17
三原由起子さま
はじめまして。
当ぶろぐをお読みくださいまして、ありがとうございました。
自分は心が狭く、さまざまなことを広く考えて受けとめることがなかなかできずに感じたところを書きましたので、お気を悪くされたかもしれませんのに、コメントをいただいて恐縮しております。
こちらこそ言葉の足りないところ、配慮の及ばないところなど多々あると存じます。
どうかお許しください。

わずかに日の光が残る夕暮れに訪れておふたりのお話をお聴きし、靴音が凍るような冷気のなかを帰路についたあの日のことを、大切にしてゆきたいと思います。
これからもみずみずしく豊かな歌をこの世に生みだしてくださいますよう、ご活躍を心からお祈りしております。

ありがとうございました。
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