*高木登作 寺十吾(tumazuki no ishi)演出 公式サイトはこちら 中野/テアトルBONBON 30日まで(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14)
主宰の高木登が寺十吾に演出を委ねるのは 『昆虫系』、『悪魔を汚せ』に続いて今回が3本めとなる。高木は当日リーフレットの挨拶文に「寺十吾というきわめて優秀な演出家がいることで、ここにこの作品を立ち上げることができました。(中略)彼がいなければこの作品が世に出ることはありませんでした」と、最大級の信頼と賛辞を記し、演出の寺十もそれに呼応するように「彼(高木)のように描きたいものと書けるものが一致させられる人は中々いない上にそれを使ってそれに携わる人々を観客も含めて確実に挑発し畏怖させられる人はもっといない」と公演チラシに言葉を寄せている。
東京からはかなり離れているらしい土地に、直径二里にも足らない小島がある。管理人が一人住むだけで、ほとんど廃墟と化した島である。パノラマ島と呼ばれるその島を所有する一族の血と呪いの物語である。江戸川乱歩の小説世界を高木登流に再構成、再構築するのみならず、そこから新たな高木登独自の物語を立ち上げたのが今回の新作であると理解した。
登場人物が客席に向かって人々の相関関係や、そこまでの話の流れなどを解説する趣向に加え、今回は音響効果、照明もたっぷり施されており、「かつてなく荒唐無稽で現実離れした作品になりました」と劇作家が記す通り、どうかすると呆然唖然としたまま、舞台に「飲まれて」しまいそうになる。
それを救ったのは、これほどまでに呪われた一族にあってたった一人、打ちひしがれながら敢然と立ち向かおうとする人物の存在である。完全に狂った人、もはや諦念した人のなかで、良心と良識を貫くのは並大抵のことではない。ともすると悪に立ち向かう健気な善人という型にはまってしまうのだが、この人物ならときには毒を以て毒を制すこともありうると想像され(ラストシーン、人々のストップモーションのかたちから、そう思った)それならそれで大変なことなのだが、この一族のその後が知りたいという欲望が湧きはじめるのである。
情を封印した女主人、完璧に従順に見えて、たいそうわけありの執事等々、「いかにもいそうな」人物がずらりと並び、うっかりすると「いかにもありそうな物語」に陥る危険性もある。しかし今夜の舞台は、まことに適切な配役と、それに応えんと全力で演じる俳優の演技によって、決してありきたりでない独自の世界を構築することに成功した。
ただ非常に既視感の強い演技、凡庸と受け止められかねない造形もいくつかある。確かにその人の個性、持ち味が全面的に表出して、魅力的だ。劇の人物ぜんたいの構成やバランスを考えて劇作家がその人物を生み、「この人にこそ」と配役し、演出家が必要である、的確であると判断して、観客の目の前にその役を演じる俳優が存在するのであろう。だがその人が出演した過去の鵺的作品での造形、「こういった物語のなかに存在しそうな人」といった受け手の固定観念を覆してほしいと、欲が出るのである。
人間の善なる心を嘲笑うかのような赤い渦巻と、善なる心を求め続けて、その上に描かれる×印の戦いが始まった。やはりこれはどうしても続きが知りたい。
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