*公式サイトはこちら 野方・どうひん 31日終了
俳優・神由紀子(1,2,3,4)主宰の会が2度めの公演を行った。前回に引き続き、さまざまな文学作品を余田崇徳の音楽に乗せ、観客を急行列車(Express)の旅路にいざなうという趣向だ。2月から始まった稽古に2度お邪魔させていただき(1,2)、本日の初日を観劇した。稽古場から劇場に場所が移ると、俳優は皆顔つき、立ち姿も別人に変貌する。満席の観客の存在もその変貌に一役買うわけで、作り手と受け手が時と場所を同じくする演劇というものの魅力を改めて考える機会にもなった。以下印象深かったものをいくつか。
*芥川龍之介『蜜柑』…高井康行は、green flowers(グリフラ)の『かっぽれ!』シリーズでの、旅館・松野やの優しくハンサムな専務さんのイメージが強いが、いやさて朗読の名手である。本作は主人公の心の動きがこれ以上ないというほど客観的に、それでいて抒情的に書かれており、三等切符を持って二等車に乗り込んできた小娘を非難の目で見ていた彼が、あの一瞬ですべてを理解し、心を溶かすまでの描写のすばらしさ…高井は台本を手に持ち、時折目を落としてはいるが、ほとんどを覚えて読んでいる。これは戯曲の台詞よりも難しいのではないか。まだ客席が落ち着いていないプログラムの1本めに登場する重責を果たした。
*岸田國士『桔梗の別れ』…戯曲であるから舞台で上演されることを目的とした作品だが、駅のホームや走っている汽車のなかでのやりとりである本作を舞台に乗せるとなると、果たしてどうなるのか。保養地で知り合ったお金持ちの母娘と高等遊民風の青年たちの、まことに他愛ないつきあいが残酷な幕切れとなる恐ろしい作品だ。母娘が水に流れる桔梗に目を泳がせる一瞬ののち、暗転となるタイミングに息をのむ。
*三浦哲郎『じねんじょ』…プログラムの最後の1本は三浦哲郎の短編小説だが、地の文が非常に多く、それに比べると台詞が少ない。俳優の出番が少ないわけで、リーディングには不向きでは?と思われたが、朗読の旅の最後を飾るにふさわしい佳品であった。成功の要因の第一は、地の文を担った田浦環のみごとな語りであろう。声質、滑舌はもちろん、出過ぎず引き過ぎず、淡々と読みぶりであるのに、登場人物の様子が生き生きと浮かんでくる。人物を演じる俳優の台詞も自然に引き出され、昔売れっ子芸者で鳴らした母(吉田幸矢)の粋と恥じらい、40近くなってほんとうの父と再会する娘の小桃(神由紀子)の複雑に揺れ動きながら、素直に落ち着いていく様相、出番は一か所ながら、まことに重要な役柄である茶々(吉野あすみ)、そして悪びれもせず登場し、すべてを包み込む素朴な優しさに溢れる父(中野順二)の飾り気のない巧さ等々、気持ちの良い終幕となった。
前回から続けて出演のメンバーも多く、休憩をはさんで2時間弱、異なる8本の演目をさまざまな趣向で読み、朱の会のステージとしてひとつの作品の提示に成功したことを客席から祝福したい。ただ、朗読が始まる前や休憩前後のアナウンスもステージの一部であるから、感興を削ぐことなく客席の空気を整え、本編を導くにはどうすることがふさわしいかを今一度検討される必要があると思われる。
この作品だけでなく全体を通して、作品選びのセンスと配役の妙が感じられ、演出・構成の技量に思いを致した次第。
blogへのお運びならびにコメントをありがとうございます。全く嫌味なく、自然なステージになっていましたね。原作に対して、読み手が素直に寄り添ったからかな。作品を選ぶ段階から、すでにセンスが問われている。次回も楽しみですね。