*藤井治香作・演出 公式サイトはこちら 東京バビロン シアターバビロン流れのほとりにて 31日終了
le 9 juin(ル ナフ ジュアン)は藤井治香の個人ユニットとして2016年に活動を開始した。東京バビロン演劇祭2018では、優秀未来賞とオーディエンス賞を受賞。4回目の公演であるこのたびの新作で、ようやく初見となった。久しぶりの東京バビロンでの観劇、改めてここは観客にとって大変居心地の良い劇場であると実感した。ぜんたいの広さも天井の高さもほどよく、圧迫感がない。
パパはある朝、ライヒェナウ島の美しい女性と出て行ってそれっきり…彩月(さつき)が母・葉月(はづき)から聞いた父の話はそれだけである。その母も亡くなって、彩月は母の知り合いである望月絢子からライヒェナウ島で撮影されたという写真を受け取る。会ったことのない父と、自分の知らない顔を持つ母。彩月をめぐる女性たちの心象をつなぐ物語だ。
物語が時系列に進行しないことは、冒頭、彩月の友だちの美月(みづき)の電話の場面ですぐに観客の知るところとなる。彩月に葉月の思い出を語る望月絢子もまた、妹とのあいだに確執がある。彩月との会話のなかに、外国にいる妹との会話が挿入されるが、その場面は互いの心のなかの声を探り合い、反駁しているかのようで、時空間ともに交錯し、舞台に幻想的な風合いを生み出している。
当日リーフレット掲載の作・演出の藤井治香の挨拶文を読み返す。自分の心のありかを探し求め、人との交わりに悩み、それを演劇という形で提示し、昇華させようとしているのだろうか。藤井自身が演じる望月絢子の「繊細な人は、繊細じゃない人を傷つけることがあるんだって、その繊細さゆえに」という台詞に、作者の気持ちが表れている。
途中葉月と彩月それぞれに長いモノローグがあること、葉月役の俳優が、美月の職場の先輩を兼ねることなど、さまざまな趣向が凝らされている。美月が、彩月の母である葉月に抱く思い、絢子とみき姉妹の位置づけ、物を食べる場面の意図はどこにあるのだろうか。舞台で実際に何かを口にするのは俳優にとって負荷がある。観客もつい、「ここでなぜサンドウィッチを?」と考えるのである。作者が伝えたいこと、思い描いている情景を確かに受け止められたかというと、いささか心もとない。
藤井治香とle 9 juinの舞台を作る仲間は、作りたい景、発したい言葉を持っている。創造する上では、それがもっとも重要であろう。それらをどうすれば確実に舞台で表現できるか。客席の自分にとっては、もしかすると違和感を覚えるところから、この繊細な感覚を持つユニットとの交わりが始まるのかもしれない。時間がかかるだろうが、すぐに共感できるものよりも、より深い味わいに導かれることを願っている。
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