因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

COCOON PRODUCTION 2022/NINAGAWA MEMORIAL 『パンドラの鐘』

2022-06-08 | 舞台
*野田秀樹作 杉原邦生演出 公式サイトはこちら シアターコクーン 28日まで
 1999年の初演では、世田谷パブリックシアターで野田秀樹演出/出演版が、シアタコクーンで蜷川幸雄演出版がほぼ同時期に上演された。二十数年を経て杉原邦生が映像、小劇場、歌舞伎まで、年齢もキャリアも出自も異なるたくさんの俳優との創造に挑む。杉原演出の舞台観劇記事はこちら(2014年から、なぜか一気に2020年に飛んでおります)→1,2,3,4

 太平洋戦争開戦直前の長崎の海辺で、古代遺跡の発掘作業が行われている。考古学者カナクギ教授(片岡亀蔵)と助手イマイチ(柄本時生)はほぼやる気なしだが、作業の命を出したピンカートン未亡人(南果歩)の娘タマキ(前田敦子)の婚約者でもある、もう一人の助手オズ(大鶴佐助)は一心に取り組む。彼が掘り出した一本の折れ釘から、開戦前夜と遠い古代が交錯する、壮大な物語が始まる。

 古代では王の葬儀をめぐって、王の妹ヒメ女(葵わかな)と乳母のヒイバア(白石加代子)、高官のハンニバル(玉置玲央)、ミズヲ(成田凌)をはじめとする葬儀屋たちの攻防が展開するが、ミズヲが異国から持ち帰った巨大な鐘の音色にヒメ女は魅入られていく。一方前述の長崎でも鐘が出土し、その裏側には驚くべき事実が刻まれていた。

 巨大な鐘に長崎に投下された原子爆弾、能の「道成寺」を重ね、さらには古代のクーデターと2.26事件がぶつかり合う重層的な構造を持つ。白木の大きな台が置かれた舞台に客席通路からミズヲが静かに登場し、中央部分に手を置き、やがて耳をつけて何かを聴こうとする冒頭から、鐘の中に自らを葬ったヒメ女を思い、ミズヲが同じ姿勢で幕を閉じるまで、休憩なしの2時間余の物語である。

 多彩な出演者のなかで、特に心を惹かれたのはオズ役の大鶴佐助である。自分が観劇した出演作は次の通り。2018年の唐組公演『吸血姫』では、姉の大鶴美仁音とともに父唐十郎の作品に出演した。2020年の『いかけしごむ』(配信)では美仁音と演出も共同で行い、別役実戯曲と唐十郎の劇世界の親和性を示している。2021年の『ピサロ』ではインカ帝国の王とスペインの将軍との通訳のマルティン役を観たとき(ブログ記事無し)、ふたりの主軸両方に絡む役どころをとても自然に演じている印象を持った。

 助手イマイチ役の柄本時生は、公演パンフレットに大鶴について次のように語っている。本作は折れ釘を見つけた「なんでしょう、これ」というオズの台詞に始まるのだが、「本読みの時の、佐助君の第一声を聞いた瞬間、僕はその純粋無垢な美しさと芝居を牽引する熱に衝撃を受けた。(中略)佐助君は向き合う戯曲の言葉をさらに劇的に増幅させることができる」。これは大鶴佐助の俳優としての本質と方向性をずばり言い当てているのではないだろうか(ここに気づいた柄本時生の感覚もすごい)。

 姉の大鶴美仁音が血の滴る鋭い刃物であるなら、佐助は何だろうと考え、決して多いとは言えない観劇の記憶を探ってみた。佐助は舞台の立ち方、在り方が自然であること、決して他の役の邪魔をしなかったことに気づく。オズ役は現代と古代が交錯する物語をつなぐ役割を否応なく背負わされてしまい、混乱し、翻弄される。しかしそのすがたは、物語をどう受け止めればよいのかと必死でのめり込む観客と、立ち位置や視点を同じくするものだ。

 観劇は旅のようなものである。事前に戯曲を読んだり、背景を学習してはいても、リアルな観劇の時空間は地図のない道を歩き、羅針盤の無い船に乗ったに等しい。そのとき、佐助の演じるオズは、「迷ってもいい、立ち止まっても構わないから、ともかく一緒に最後まで」と観客を導く。役自身の戸惑いや葛藤に共感しつつ、この人につかまっていれば大丈夫だ、と安心させてくれる存在なのだ。本作初演の観劇時には気づけなかったことである。

 大鶴佐助は、劇場という帆船に俳優とともに乗り込んだ観客を風のように灯台のように導く。それも絶対の自信を以てではなく、演じる役の右往左往も一緒に体験しながらというところにむしろ信頼感があり、今後の出演作品にいっそう興味を掻き立てられるのである。
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