大変長らくお待たせいたしました。因幡屋通信最新号の65号をお届けいたします。先般記載の通り、演劇公演や劇場がまだ落ち着かない状況を鑑み、このたびは紙媒体の配布ではなく、このブログにて公開となりました。ご了承ください。
目に見えない新型ウィルスは
この国の演劇を含めた芸術に大きな打撃を与えましたが
同時に、関わる方々の情熱を燃え上がらせました
客席のわたしも、演劇によって生かされています
メインの劇評は、今年の観劇はじめとなったTrigrav『ハツカネズミと人間』です。
この国の演劇を含めた芸術に大きな打撃を与えましたが
同時に、関わる方々の情熱を燃え上がらせました
客席のわたしも、演劇によって生かされています
メインの劇評は、今年の観劇はじめとなったTrigrav『ハツカネズミと人間』です。
観劇直後のblog記事と合わせて、ご笑覧くださいませ。
名前のない女
マグカルシアター参加
Triglav 3rd work
ジョン・スタインベック作
中西良介翻訳 新井ひかる演出
『ハツカネズミと人間』 桜木町・スタジオHIKARI 1月10日~12日
マグカルシアター参加
Triglav 3rd work
ジョン・スタインベック作
中西良介翻訳 新井ひかる演出
『ハツカネズミと人間』 桜木町・スタジオHIKARI 1月10日~12日
◇旗揚げからスタジオHIKARIまで◇
Triglav(以下トリグラフ)は、演出の新井ひかる、俳優であり翻訳も兼ねる中西良介、制作の菅野友美の3名による演劇ユニットである。彼らの出会いは学生時代の「明治大学シェイクスピアプロジェクト」(以下МSP)だが、これは同大学の学生が主体になってシェイクスピア劇を上演するプロジェクトで、2004年の第1回公演『ヴェニスの商人』に始まり、今年の『じゃじゃ馬ならし』で17回を数える。観客動員は3日間で4000人を越え、学生演劇としても、大学のイベントとしても大規模なものである。卒業生からは、『福島三部作』で岸田國士戯曲賞と鶴屋南北賞をダブル受賞した谷賢一、俳優・ナレーターとして活躍する西村俊彦、東京夜光主宰の川名幸宏など、多彩な演劇人を輩出している。トリグラフの3名はMSPで舞台作りの体験を共有したのち、それぞれ違う場所で研鑽を積んで、2017年10月、ユニットを結成した。公式サイトには「演出家、俳優、制作者という各々の立場で、様々な作品に挑戦していく、豊かで自由な創作土壌。俳優、演出家、スタッフ陣が互いに“コラボレーター”として存在し、自由かつ妥協のない作品作りにこだわっていく」と謳われている。
旗揚げは2018年6月、ハロルド・ピンターの『The Collection』を南阿佐ヶ谷の「ひつじ座」で上演した。天井が低いぶん、奥行きに観客の視線が向けられることを利用して、舞台手前に男性二人が暮らす高級住宅の一室、奥には若夫婦のアパートの部屋を作った。2つは全く別空間だが、舞台上にドアはひとつしかない。相手の心変わりを疑いながら、同じドアから出入りする彼らの心と言葉がすれ違い、無間地獄に陥る様相を可視化した。同年12月には、マーティン・マクドナーの『The Pillowman』を「大森山王FOREST」で上演した。間口は狭いが天井が高く、客席に勾配があって舞台を見下ろす形になる。ここでも舞台下手スペースで弟が2人の刑事に取り調べを受け、上手には兄が収容されている部屋を設定し、親による子の虐待と児童連続殺人が絡み、猟奇的だがファンタジーの要素を併せ持つ複雑な劇世界を立体化した。いずれも劇場のサイズや構造、使い勝手まで、長短自在に活かした舞台であった。
最新作はスタインベックの『ハツカネズミと人間』である。大恐慌時代のカリフォルニアの農場を舞台に、あくの強い登場人物、野外と屋内さまざまに場所が変わるなど、なかなか厄介な作品だ。
今回の会場の「スタジオHIKARI」は、もとは神奈川県青少年センター2階の「多目的プラザ」である。音楽スタジオのような明るい解放感はあるが、演劇を観るには微妙にしっくりこないところがあった。「演劇の神さま」、「言霊」などと言うと神がかってしまうのだが、スタッフや俳優に表も裏も使い込まれ、多くの観客が身を置く場所に宿る温もり、安心感が希薄なのである。2019年3月のニューアルオープンに際して、「床や壁を黒塗りにするなど、演劇空間として使いやすく」なったことをアピールしている「スタジオHIKARIとトリグラフが、果たしてどのような空気を形成するのか。
◇空間の構築◇
場内は客席が演技エリアを三方から囲む作りになっている。床には平台や木箱がいくつかあるだけだ。これまでの2作とは対照的に、「モノ」を極力排した抽象的な舞台だが、台の上に小さな鼠のぬいぐるみが1匹置かれ、そこだけが静かに照らされて、観客の視点は自然にそこへ集中する。2作めの『The Pillowman』で舞台美術をつとめた上田淳子は、今回は「空間美術」という新たな役割を担っており、客席も含めた劇場全体を劇空間としてデザインする意図が窺われる。
ジョージとレニーが野宿をする場面から、たどり着いた農場で、労働者たちの宿舎、黒人労働者が寝起きする家畜小屋、事件が起こり、ジョージとレニーが最後に言葉を交わす場面まで、場面転換では俳優が平台やテーブルを移動させ、野外と屋内の場面を違和感なく行き来する。
これまでトリグラフが公演を行ったひつじ座と大森山王FORESTは、前述の劇場独特の空気が既にある場所である。そこに多くの「モノ」を持ち込み、細部まで作り込むことで、いっそう濃密な劇空間を構築したが、どんな空気になるか未知数のスタジオHIKARIにおいては、「モノ」を排する「引き算」によって、その空間に観客の想像力が「足し算」されることを狙ったのである。
空間の構築力。まずこれがトリグラフの魅力と言えよう。
◇カーリーの妻◇
次の魅力として、俳優の演技が凡庸に陥らず、しかし奇を衒うことなく的確であることを挙げたい。レニーの扱いに神経を擦り減らしながら、懸命に心を注ぐジョージ(永田涼)、そのジョージの献身を一身にうけ、いっそう無垢な魂そのもののレニー(内藤栄一)はもちろんのこと、農場で出会う男たちは皆、わけありの曲者ぞろいであるだけに、ありきたりであざとい演技になりがちであるが、トランプカードをスマートに扱いながら、子犬を間引く冷酷な面をさらりと見せるスリム(阿岐之将一)、黒人ゆえに虐げられながら、思慮深く知的なクルックス(酒井和哉)が一瞬見せる微笑みなど、どの人物も、本人すら意識していないかのような深部を垣間見せる。
だが特筆したいのは、劇中ただ一人の女性、「カーリーの妻」(中坂弥樹)である。役名そのままに、農場主の息子カーリーの新妻だ。夫すら一度も名前を呼ばないので、最後まで名前がない。することも居場所もなく、いつも「あんたたち、カーリーを見なかった?」と農場をうろついている。恋しいからではない。こう言う意外、周囲との接点がないのである。男たちは皆彼女を邪険に追い払い、下衆なうわさの種にするだけで相手にしない。
ようやくレニーをつかまえて、やおら語られる彼女の生い立ちや母親との関係、結婚のいきさつはまことに幸薄い。あげく不運な死に方をするのに、男たちが真っ先に案じたのは、レニーに対してである。観客も同様で、何らかの感情が起こるとしても、「あの女がいたばっかりに」と舌打ちする程度か。さすがにカーリーは猛り狂うが、妻への愛ゆえというより、自分だけのおもちゃ(しかし思い通りにならない)を壊された怒りであろう。
ジョージとレニーの関係の終焉に向かって、物語は一気に進んでゆく。劇中人物にも観客にも特に関心を抱かれないまま、唐突に人生を終わった女の存在が炙り出されたのは、特異な造形だったからではない。中坂は、若さや美しさ、色香を強く押し出すことなく、それらが無意識に零れてしまうこと、そうすることでしかこの世を泳ぐすべがなかったこと、しかもそれは永遠ではなく、上辺の意味しか持たない痛ましさを表出させた。「存在感」は俳優誰しも求めるものであろうが、「必要とされていない」ことがこの役の本意である。逆の在り様を示すことで、「カーリーの妻」という記号的な役割の女は、生身の体温と、「彼女のことを少しだけ考えよう」という思いを観客に与えたのである。
◇4人めのメンバー◇
冒頭に記した通り、トリグラフは3人のユニットだ。しかし彼らの創作の場には4人めのメンバー、すなわち劇作家の存在がある。このメンバーは必ずしも協力的ではなく、むしろ3人を手こずらせ、悩ませる。だからこそ挑戦のしがいがあり、最後には喜ばしい交わりが生まれることは、これまでの3本の舞台が証明している。
次は誰がやってくるのだろうか。翻訳作品が続いているが、たとえば『廃墟』の三好十郎、『美しきものの伝説』、『反応工程』の宮本研などの重量級はどうだろう? 意表をついて、『アイスクリームマン』の岩松了もおもしろい仲間になりそうだ。もうしばらくは妄想の舞台をおひとりさま観劇し、トリグラフとの再会を待ちたい。
次は誰がやってくるのだろうか。翻訳作品が続いているが、たとえば『廃墟』の三好十郎、『美しきものの伝説』、『反応工程』の宮本研などの重量級はどうだろう? 意表をついて、『アイスクリームマン』の岩松了もおもしろい仲間になりそうだ。もうしばらくは妄想の舞台をおひとりさま観劇し、トリグラフとの再会を待ちたい。
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