因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

蜻蛉玉公演『たいくつな女の日』

2007-07-19 | 舞台
*島林愛作・演出 公式サイトはこちら プーク人形劇場 公演は17日で終了
 劇作家はどんなことを描いてもかまわないと思う。ごく個人的なレベルの内容であっても、ハードな政治的な問題であっても、そこに観客にみせたい、伝えたいという意志があり、それが客席に伝われば、劇場は幸福な空間となる。そうするためには何が必要だろうか。たとえば柳美里は、自分の生い立ちや家族など、決して幸福とは言いかねる現実に食らいつくように、「これでもか」という気迫で舞台や小説を作り出していった。また劇団フライングステージの関根信一は自分がゲイであることをカミングアウトし、ゲイのコミュニティと周囲の人々との共生を描こうとしている。どちらも一見極端な世界や設定であるが、次第に引き込まれていくのは、劇作家の思いと観客をつなぐ何かが確かにあるからだろう。それは人物の設定やストーリーの工夫など、具体的な一種の職人芸的面もある。しかし何より、お芝居が始まってすぐに感じる「空気感」、舞台からの吸引力とでも言えばいいのだろうか。それがあれば、どんなに小さな世界を描いていても、劇作家の自己満足や自己救済、自己解放にとどまらず、演劇として成立するだろう。

 今回の『たいくつな女の日』に、残念ながらそれらは感じられなかった。水瓜とトマトがなった不思議な場所、上にも下にも果てしなく続いていく螺旋階段の作りや、その階段を必死に上り下りする女の子たちが求めているのは水だけではない、自分の存在を確かにするための何かだとは思うのだが。

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