因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

TEAM KAWAI~Attract vol.1~『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』

2018-07-20 | 舞台

*清水邦夫作 大場正昭演出 公式サイトはこちら 六本木・Morph-Tokyo 21日まで
 歌舞伎界から劇団新派へ転身した河合雪之丞はじめ4人の俳優による新しいプロジェクトの公演。男優ばかりの座組が、バックステージものの傑作戯曲『楽屋』に挑む。本ブログで追うだけでも以下の観劇歴があり(1,2,3,4)、今回どんなページが加わることになるのか。2日間だけの公演ではあるが、カーテンコールでの河合誠三郎の挨拶を借りれば、「このとてつもない暑さのなか」初日は2回、千秋楽は3回公演の大奮闘である。

 まず実感したのは、歌舞伎の女形は、非常に特殊な存在であることだ。どんなに美しい女に見えようと、今風の言い方で「中の人」はまぎれもなく男である。しかし着物によって腕や足は隠され、からだの線がくっきり出ない見せ方をして、歩き方から何まで女らしいしぐさを身に着け、さらにゆったりとした七五調の台詞を言えば、「ほんとうにこれが男なのだろうか」と本気で思うほど、女よりも女らしい女を作り上げることができるのである。しかしながら、この技をそのまま現代劇に活かすことは、こちらの想像以上に難しいのではないか。

 洋装ゆえ腕や足が晒されると、「中の人」が男性であることが否応なく見えてしまう点は否めない。また胸元の作り方もむずかしそうだ。この点ではずっと立役をしてきた河合誠三郎は戦前の女優役で、浴衣を纏っているためにカバーされており、男役で『斬られの仙太』実演の場面では生き生きして自然であり、ひとつの見せ場になっている。一方で、河合宥季演じる若い女優Dは、からだぜんたいがまことに華奢で、腰も足もすんなりとして、息をのむほど可愛らしい。しかし声や台詞の発し方はまだ途上のようである。

 河井雪之丞演じる女優Cは、なぜ40歳を過ぎて『かもめ』のニーナに執着するのだろうか。さらに、それほど執念を燃やすニーナ役なのに、どうして専属のプロンプが必要なのか。果たしてこの女優Cは、現実においてどれほど優れた女優であるのか。同じ『かもめ』のアルカージナや、いっそ『桜の園』のラネスカヤ夫人へ進むのではなく、あくまで「ニーナ」であるのはなぜなのか。

 河井雪之丞は、冒頭から黒のドレスに身を包み、美輪明宏ばりの低い声で貫禄たっぷりに「わたしはかもめ」の台詞を発した。「中の人」としては40歳過ぎであっても、『かもめ』に登場するニーナは若い娘である。前述の「わたしはかもめ」の台詞は、物語後半、女優を目指した娘の成れの果てのごとく尾羽打ち枯らし、振り絞るように発せられるのではあるが、それはまだうら若い彼女の口から吐かれるからこそ、いっそう哀れで痛ましく聞こえるのである。雪之丞の冒頭の造形については、その意図を知りたい。

 これからも『楽屋』はさまざまな座組で上演されていくことだろう。それだけ俳優はじめ作り手として得るものが豊かな作品であることの証左である。そして重要なのは、観客も座組による比較に終始せず、自分はこの作品に何を求めているのか、どんな『楽屋』を見たいのかと常に考える必要があるということだ。『楽屋』との交わりを継続し、探求する喜びは、観客にも与えられているのである。

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