*SPACE雑遊 29日まで
「劇団劇作家」とは、その名のとおり劇作家の相互研鑽とプレゼンテーションを目的とした劇団である。今回で4回めになる「劇読み!」公演は、戯曲と劇作家のショーケース的なリーディングの試みだ(1,2,3,4)。A~Hまでの8プログラムあり、演出家も出演者も多士済々、盛りだくさんの公演である。本日は篠原久美子 作 村上秀樹(回転OZORA) 演出のCプロを観劇 27日19時の回もある。 2005年に新国立劇場で上演され、鶴屋南北戯曲賞にノミネートされた本作を、自分は今日はじめて「聴く」ことになった。
劇場はいって左右に客席が作られ、演技エリアをゆるく二方向からみる形である。正面には月下美人が描かれた絵がかかっており、舞台がすすむにつれて、この花が登場する人々に控えめな彩りと香りをもたらしていくことがわかってくる。
椅子が数脚あるだけ、俳優も基本的に台本を手に持って読む演技で、特別なしかけのない、シンプルなリーディングだ。
重篤な遺伝子病を患う女性とその家族が、体細胞クローンによって子どもが産まれたという事件によって衝撃の真実を知り、激しく揺れ動きながらも家族の絆をとりもどすまでを描いた90分の物語である。
近未来の話であり、いささか特殊な設定ではあるが、血の通った人間が織りなす愛憎の様相は、むしろずっと以前から語られていたものであり、SFというより温かく悲しい家族の物語として聴くことができた。
「ステージ・ディレクション」として登場する小笠原游大が、ト書きと劇中のテレビレポーターなどの台詞を読む。芝居の流れによって舞台中央に立ち、ときには入口側に移動する。
登場人物こそ少ないが、情報量が多いために少々説明台詞に聞こえがちな部分がある本作に対して、登場人物を見守りながら観客を劇世界に的確に導く役割を果たす。
戯曲を尊重する奥ゆかしい演出で、それに応える俳優のすがたも好ましい。
通常の上演であれば多少俳優が台詞を噛んだり間違ったりしても、俳優のからだの動きや舞台装置など、観客の目にみえるいろいろなものにどうにか紛れ込ませることも可能であるが、リーディング公演で同様のことが起きると、演技のミス、とちりの面が際立ってしまうことを実感した。本作を聴くことに大きな妨げにはならなかったが、戯曲そのもに向き合う俳優のすがたをさらす、リーディング公演のこわい一面である。
前述のように情報量の多い作品である。秘密が記された古いノートや保存されている夥しい細胞類がなかなか具体的に思い描けず、台詞をきっちり聴きとることには多少の労苦があったが、そのなかで庭にひっそりと咲く月下美人が想像の構築を助けてくれるものとなった。
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