*アントン・チェーホフ作 神西清翻訳 角替和枝演出 公式サイトはこちら 下北沢ザ・スズナリ 12日まで(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12)
乾電池がチェーホフの長編を上演するのは18年ぶりとのこと、記憶を何度もたどってみるのだが、おそらく自分ははじめての乾電池/チェーホフ体験となる。タイトルの『かもめ』には、やや小さめの字で「チェーホフの」と添えられている。『乾電池のかもめ』ならまだしも、わざわざ「チェーホフの」とことわりを入れたのはなぜだろうか。
しかしあまり深く考えるのはよそう。スズナリにしては年輩のお客さまが多く、ぎっしり満員の盛況だ。これが演出2本めだという角替和枝、舞台美術は座長の柄本明。本作が今年最初の観劇である方も多いはずで、東京乾電池による『チェーホフのかもめ』に期待が高まる。
上記にリンクしたように、これまでの乾電池公演の観劇記録が思ったよりたくさんある。しかし自分の乾電池歴はまことに気まぐれで、続けて通ったかと思うとふっつりと途切れたりする。従って、何本もみているわりにはこれこそが乾電池の芝居だという確固たる認識をもつには至っていない。
結論からいうと、休憩なしの2時間10分をゆったりとした気持ちで楽しむことができた。チェーホフの『かもめ』は何度もみている演目だ。それぞれに魅力があり、同時に疑問に感ずるところもある。見終わったら戯曲を読みかえしては、少しずつ自分だけの「かもめ」を構築していく。こんな『かもめ』がみたい、あの場面のあの台詞を、こう言ってみたらどうなのだろうと考える。
自分には「チェーホフは観客に学習を要求する劇作家だ」という意識がある。最初から理解できるものではなく、正統派の新劇風、思いきり大胆な小劇場風、リーディングなどなどを体験し、手ごたえを得てよしこれだと意気込んだら、つぎにはほとんど寝ていたり、そういった体験を何度も積み重ねて戯曲を読み、それでもなお「これこそがチェーホフだ」というものには出会えておらず、それをもどかしいというより、これから先の楽しみと受けとめられるのは幸せであり、もしかするとそれがチェーホフの最大の魅力なのではなかろうか。
正しい演出であるとか、これがぜったい正当な上演だというルールや決まりはないのではないか。しかし戯曲を大切にし、台詞はもちろんト書きに至るまで丹念に読み込み、それをふさわしい形で俳優の声や動き、舞台のこしらえ(美術、音楽や音響、衣装など)にしていくことは必要であろう。乾電池の『かもめ』には遊びや脱線の部分もある。冒頭の劇中劇でのトレープレフの衣裳?や、終幕で二―ナに去られ、トレープレフが自分の原稿を破り捨てるところで流れた楽曲などはいささか遊びが過ぎるようにも感じたが、それが作品をみる上での妨げにはまったくならなかったし、あんまりな言い方になるが客席が大受けするわけでもなく、何かの効果を狙っているようにも思えず、さほど気にしないまま流せてしまえるのである。
ならばないほうがよいではないかとも言えるが、これらの演出の功罪についてはあまり深く考える必要はないのではないか。
劇中劇の場を舞台の奥側に設置したことによって、観客は劇中劇をみながら「劇中劇をみている人々」を正面からみることになる。このステージングの効果を改めて考えている。スズナリの小さな空間を無理なく使い、観客を自然に『かもめ』のなかに引き込むことに成功した。何よりこれぞ新演出の試みだ的な気負いがないのがいい。
俳優陣もその人の資質を活かした造形で、かといってそれに頼り過ぎてもおらず、「いかにも◎●さん的な△■だ」風のくさみもない。むろん役づくりの工夫や苦労もあったにちがいないのだが、ぜんたいにのびのびした気持ちのよい座組みであった。
とくにニーナ役の松元夢子は、おっとりと育ちのよい娘さん風の出だしがいかにも素朴で可愛らしく、この女優さんにぴったりである。それが2年のちにみる影もなくやさぐれたありさまでトレープレフに再会する場は、自分のこれまでの松元さんのイメージにはなかった造形である。同時にその様子を口も聞けずにただみつめているトレープレフ(この回は岡部尚)、二―ナが立ち去ったあと、彼女がここに来たことを誰かが言うと「ママは辛いだろうからな」と母親を気づかう台詞が控えめな痛みを伴って伝わってくる(彼はうつろな調子でひとり言を言う)。
どの役もどの台詞も一筋縄ではゆかない。むずかしい作品である。反面、それはいろいろなつくりが可能ということでもある。
さて自分はこれが2014年の初芝居であった。年のはじめにチェーホフとは少し暗くなるかしらと懸念していたが、終演後の心持ちはまことにさわやか、あんがいと初芝居に向く演目なのではないかしらん。前述のようにチェーホフには学習が必要だが、それは希望が抱ける作品だからではないか。もっとチェーホフに親しみ、舞台をみて戯曲も読みたい。観劇のたびにそう思えるのだから。
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