*野田秀樹作・演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場プレイハウス 10月28日まで(1,2,3)。
率直に言ってこれまでの東京芸術劇場(芸劇)はなかなか足が向かない劇場であった。はじめて行ったのは某ミュージカル劇団の公演であるが、行く前に当日券のことで劇場に問い合わせをしたときの対応が非常に悪かったこと、それでも決心して劇場まで行ったのだが、劇団窓口の言動も意味不明で誠実とはいいがたく、最悪の印象だったのである。
その後いくつかの公演をみる機会はあったが、劇場の空気がどうしてもこちらになじまないのだ。これは感覚的、直感的なものであり、具体的にどこがどうだからと説明はできない。入ったとたんによそよそしく、背中がスースーする感じ。劇場という建築物の物理的な面もあろうが、中身も大いに関係していたのではないか。これまで芸劇でみた作品のうち、しっかりとした手ごたえを得たのはグリングの活動休止公演『jam』(青木豪作・演出)、二兎社の『シングルマザーズ』(永井愛作・演出)など、ごくわずかにすぎない。
これは今回の芸劇のこととは少し違うのだが、駅からのアクセスが多少不便でも、ロビーが狭かったりお手洗いの数が少なくても、なかで上演する舞台が魅力的であればなんでもないのである。93年の『テレーズ・ラカン』でベニサンピットの印象が激変したように。駅から劇場までひとやすみする喫茶店も、ちょっと寄り道したい雑貨店もないのに、逆にそれがいい。行きはこれからみる芝居のために集中でき、かえりは受けとった印象を消さずにそのまま帰路につけるからである。とにかくあの場所へ通うことが嬉しくてたまらなかった。
先日NHKのインタヴューで、芸術監督の野田秀樹が「劇場がかわると、町もかわる」と話していたが、今回はじめて足を運んだ東京芸術劇場はその可能性をじゅうぶんに秘めていると思う。
さてその野田秀樹の最新作『エッグ』である。今回はスポーツと音楽の話だという。「エッグ」というスポーツでオリンピック出場を目指す選手たちに、花形選手に恋するシンガーがからみ、時代や場所が変化しながら、戦争中の満州国で起こった事件があぶり出されてゆく。
主演の妻夫木聡は野田作品への出演がこれで3度めで(偶然だが全部みている、奇跡的!)、舞台俳優として着実に力をつけており、野田作品のヒロインとして安定感がある深津絵里は今回も生き生きして魅力的だ。仲村トオルはとにかく肉体がすごい(笑)。30人近いアンサンブルも大健闘して、新しくなった劇場をいよいよ素敵にするために、俳優、スタッフみなが力を結集していることが伝わってくる。
前半は前のめりだったのが、なかほどから急激に集中できなくなったのは座り心地のよい椅子のせいではなく、野田作品独特の「仕掛け」が理解しづらかったためであろう。
スポーツと音楽が一種のメタファーになっているのだが、それと物語の核とのつながりがいまひとつわからない。身も蓋もない言い方だが、なぜわざわざ椎名林檎の楽曲を用いるのだろう。さらにこの劇そのものが、某劇作家の未発表作品という仕掛けもあって、これもよくわからず、ますます混乱する。何度か観劇すれば、「こつ」がつかめるのかもしれないし、「仕掛け」の旨み、外側と中身が交差する様相が演劇としておもしろいことはわかるけれども、いちばん伝えたいことを仕掛けなしで正面から強行突破するような舞台、あるいは戦争の「せ」の字も出さずに、「もしかしたらあれは」と観客に想起させるような舞台をみたいと思う。
いやしかし、正面からぶつかるのは井上ひさしであり、逆は別役実であろう。野田秀樹の思考や劇作の方向性は決してわかりやすくはなく、こちらを翻弄するところがある。それを自分が楽しめるにいたっていないことは、今回よくわかった。まずは新潮10月号掲載の『エッグ』戯曲を読むことにしよう。
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