*マキタカズオミ 脚本・演出 公式サイトはこちら サンモールスタジオ 13日まで (1,2,3,4,5,6)
2007年に初演の作品の再演だ。「大筋はそんなに変わってないと思いますが、(中略)ちょこちょこと変わっているので」(当日リーフレット掲載のマキタカズオミ挨拶文より)とのこと。
筆者はこれが初見であり、初演に関する劇評ブログも幸か不幸か読んでいない。
公演チラシに書かれた本作のストーリーから、「モンスターマザーと教師の話かな」と予想した。舞台はごく普通のマンションの一室、教師の自宅である。訪ねてきた母親は、自分の子どもが以前にくらべて勉強するようになったことに不安を感じているというのだ。
しかもクラスぜんたいが良くなっていて、それがおかしいとしきりに訴える。
母親の不安を理解できない教師。ふたりの会話はかみあわない。
開幕早々、絶望的なコントのようなディスコミュニケーションの様相が描かれている。
おかしいのは母親で、教師はまともだ。良心的な教師がこれからとことん苦しめられるのだ・・・と思ったら、そこから大変な物語が展開しはじめたのである。
どこかが壊れていたり、あるいは完全におかしくなっていたり、思いもよらない展開になるマキタ作品に対して、毎回ある程度覚悟して観劇に臨んでいる。しかし今回はその覚悟を越える展開がすぐにやってきた。さらにつらいのは、今夜が初日の舞台に関して具体的なことを少しでも書けば即刻「ねたばれ」の危険が地雷のようにあちこちに埋められているのである。
まさかの展開、とんでもない話、極端な人物たち云々と本作の特異性を列挙して、執拗で病的な場面や、それらを当然のように演じている俳優に、驚きを通り越して「ほんとうにそこまでやるのか」と恐怖を感じたと書き連ねることは、ある意味でたやすいのだが。
是枝和裕監督の映画『ディスタンス』を思い起こす。カルト宗教に入信し、凶悪事件を起こしたのちに教団によって殺された者たちの遺族が集まり、過去を振り返りながら一夜を過ごす。鎮魂か贖罪か。自分たちは加害者なのか、被害者なのか、答のでない問いを、それでもひたすらに問いつづける痛ましい姿が淡々と描かれている作品だ。
いや、ここで映画のことを思い出してしんみりしている場合ではないのだった。
今回の舞台について、こわいのは宗教を盲信することではない。その心理を利用してさらなる凶行を目論む者がいて、彼らをみているとカルト教団の信者たちのほうがまだしも素直で誠実であるとみえはじめることだ。こちらの心理が操作されているかのような不安と、そこに快感まで覚えるのはなぜか。
当日リーフレットの「出演者の今後の予定」をみると、この公演が終わっても年内ぎりぎりまで別の公演に出演する俳優さんの多いこと。熱帯ラボは18日、『日本の問題』は27日、Oi-SCALEは30日にそれぞれ初日を迎える。
フットワークの強靭なること、恐るべし。
マキタカズオミは自分の世界観を舞台上に的確に立ち上げる術を心得ており、その姿勢は「静」である。俳優陣はマキタを信頼し、自分のもつ力を最大限に注ぎ込んで、この異様な世界にわが身をぶつける。その姿は「動」であり、血なまぐさい体臭が漂う。
自分の立ち位置はどこなのか。見終わったあと自問を繰り返す。
そう、あの映画『ディスタンス』の人々のように。
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