因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

演劇集団円公演『ワーニャ伯父さん』

2013-07-20 | 舞台

*アントン・チェーホフ作 内藤裕子台本・演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターウェスト 28日まで 
 内藤裕子が演出した劇団内外の舞台についてはこちらをどうぞ→1,2,3,4
 内藤裕子はおそらく満を持して今回の『ワーニャ伯父さん』に挑んだのではなかろうか。自身が台本を構成し、演出を担う。主演はこれもおそらく満を持しての金田明夫である。公演のチラシに出演俳優が勢ぞろいしているのをみると、誰がどの役ということがすぐにわかる。エレーナの朴璐美、ソーニャの山根舞、吉見一豊のアーストロフまで、まさに適材適所、ずばりの配役だ。高林由紀子さんがワーニャの母親役と思っていたらばあやさんで、母親は岡本瑞恵であるのは意外だったが。

 中央が張り出し舞台になっており、上手に白樺を思わせる樹木が数本、下手には古ぼけた階段がある。家具調度や衣装なども丁寧に作られて、100年前の物語を演じる現代の俳優たちを待つ。

 予想した通り、俳優陣は自分に適した役を得てそれぞれの持ち場を過不足なく演じ、安定感のある舞台であった。前述のように、気位の高い奥さまふうの高林由紀子が母親役ではないことにとまどいはあったが、心やさしくすべてを包み込むばあやさんが意外といっては失礼だが、この救いのない物語にかすかな温もりを感じさせ、岡本瑞恵の母親も、自分の息子をまるで信用せず、老教授を盲信するところの演技が決して大仰でないことが、舞台ぜんたいの調和に結びついている。少ない台詞がほとんど意味をなさないこの役は(ひどいことを言っている・・・)、演じるのがむずかしいのではなかろうか。

 医師のアーストロフは本作唯一の二枚めであり、若い娘ソーニャから思いを寄せられ、結局去ってしまうとはいえ、エレーナも彼に対してまんざらでもなかったわけで、なかなかにおいしい役である。演じた吉見一豊はじつに変化自在の俳優だ。渋い二枚めをやるとぼおっとしてしまうほど色気があるのに、マーティン・マクドナー作品における野卑な中年男や、昨年の『ガリレイの生涯』で演じた老獪な科学者など、作品に応じて、というより「このような舞台をつくりたい。そのためにこの役として存在してほしい」という演出家の望みを的確に受けとめ、演じられる人である。
 エレーナがソーニャに対する彼の気持ちを確かめるために、「地図をみたい」といって部屋に呼び出す場面。手を放すとくるくると丸まってしまう地図をはさんだ両者のぎくしゃくしたやりとりに、この場面ではじめて笑った。またエレーナがこの地を去るにあたって、ぎりぎりまで「森の番小屋で」と執拗に逢いびきをもちかけるところなど岩松了の舞台を思わせる小味の効いた演技で、もしかすると数年後、吉見一豊がワーニャを演じる可能性が、と思わせた。

 簡単に言ってしまうと、これは失恋した上に仕事でも認められず、それでも働きつづけるしかない人(ワーニャと姪のソーニャ)の話である。では彼を振った人や認めなかった人が彼よりも優位にあって幸せかといえば、エレーナは自分の若さと美しさをもてあましながら年老いた夫との人生にとっくに厭いており、ソーニャの思いを袖にしたアーストロフとて希望のない人生をおくる。もともと満たされているとは言えない人々が、劇がはじまったときよりさらに希望を失ってしまうのだ。
 ワーニャは垢抜けない中年男である。いい年をして人の奥さんに横恋慕し、しかも十年も前から片想いしていたというのが、男の純情を通り越してそら恐ろしい。過去のあれこれを蒸し返しては愚痴をこぼし、醜態をさらす。いいところなどなく、それをみる観客にとってもやりきれないものがこみ上げて来て、とても楽しい芝居とは言えない。

 けれども『ワーニャ伯父さん』はずっと上演されつづけてきた。作り手にも観客にも愛されているのである。物語のなかではあまり周囲から愛されないワーニャ伯父さんや、何年も片想いしたあげく、あっけなく振られてしまったソーニャを、人々は愛さずにはいられないのだ。

 好きな相手に自分のことをわかってほしい、認めてほしいと思うのは自然な欲求である。思いがかなえばこの上なく幸福だが、そうかんたんにはゆかない。少し距離をおくと、ワーニャがエレーナに、ソーニャがアーストロフに袖にされるのは、相手が悪いのでも理解力に乏しいのでもなく、相性のよしあしや好く好かないのどうしようもない心のためだ。
 また「わかってほしい」という必死の訴えはときに暴力的ですらあり、そうなると相手にとっては恐怖であり嫌悪でしかない。さらに自分は相手をどこまでも理解できるかと言えば、これもまたむつかしかろう。

 俳優の仕事をずっと続けてこられたこと、そして年齢、経験が熟して「ワーニャ」を演じられること。俳優として非常に幸福ではなかろうか。金田明夫のワーニャをみて、自分はいよいよこの作品が好きになった。あなたの悲しみをわかる人はこれまでもこれからも劇場にたくさんいる。いつの日か、ほっと息がつけるときが訪れます。そう言ってあげたい。

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