*永井愛作・演出 公式サイトはこちら 11月13日埼玉で初日、東京芸術劇場シアターイースト公演は12月11日まで その後来年2月まで愛知、滋賀、山形、兵庫、長野、福岡、岩手をツアー(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12)
2005年秋の初演(blog記事)は第5回朝日舞台芸術賞グランプリ、第13回読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞するなど高い評価を得た。2008年の再演を経て14年ぶりのお目見得だ。
2005年秋の初演(blog記事)は第5回朝日舞台芸術賞グランプリ、第13回読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞するなど高い評価を得た。2008年の再演を経て14年ぶりのお目見得だ。
2008年3月。卒業式を2時間後に控えた都立高校の保健室が舞台である。シャンソン歌手に見切りをつけ、音楽講師となって間もない仲ミチル(キムラ緑子)は、卒業式でのピアノ伴奏に四苦八苦。コンタクトレンズを落し、眩暈に襲われて保健室で休んでいるところへ、養護教諭の按部(うらじぬの)、校長(相島一之)、紋付き袴の衣装を決めた英語教師の片桐(大窪人衛)、そして社会科教師の拝島(山中崇)が慌ただしく出たり入ったり。式のはじめの国歌斉唱をめぐる大激論の大騒動が展開する1時間45分である。
上演中、登場人物の台詞の一つひとつが心に響き、表情の変化や間合いなどに惹きつけられて、ずっしりと重い手応えを得た。
題名の「歌わせたい男たち」はすなわち、「君が代」を教師たちに起立して歌わせたい、ピアノ伴奏をさせたい男たち(舞台では校長と片桐)を指す。「歌わせたい」という言葉には、相手に強いる嫌なニュアンスがある。しかし後半になるにつれ、斉唱に反対する拝島が「シャンソンを歌ってほしい」とミチルに語りかけるところから、彼もまた「歌わせたい男」であることが示される。しかし、拝島の気持ちは公演パンフレット表紙裏に記された彼の台詞「聞きてやぁなぁ、先生の歌。シャンソンって、オトナの歌でしょう。愛や人生を歌うには、これからがちょうどいいはずだに」にあるように、「あなたに歌ってほしい。そしてそれを自分は聞きたい」という願いである。校長たちには、この「聞きたい」という視点が欠落しているのだ。
ヒロインのミチルよりも、立場の異なる「歌わせたい男たち」が圧倒的にしゃべることしゃべること。これまで彼女は社会的、政治的なことにあまり関心がなく、教育者の立場になって間もない身だ。ミッションスクール出身でもあり、男たちの議論に驚くばかり。同郷の猫好き、シャンソン好きの拝島が斉唱に反対することを今朝初めて知って困惑、混乱に陥る。
その拝島が「自分のいちばん好きなシャンソン」としてミチルにリクエストするのが、「聞かせてよ愛の言葉を」である。これまで歌など聞いていない酔客を相手にクラブで歌っていたミチルが、これほどまでに「聞きたい」と乞われて静かに歌いはじめるラストシーンの美しさ。続く拝島の行動に胸を締めつけられる。
拝島役の山中崇はNHKの「ちむどんどん」、「鎌倉殿の13人」にほぼ同時期に出演するなど、映像の世界での活躍がめざましいが、舞台の彼は長身小顔でなかなかの美男子ぶり。按部がミチルに「ああいうの、タイプですか?」と問いかけることに違和感がない。国歌斉唱に反対の立場を表明して以来、左翼だの何だのと言われているが、本人曰くもともとは「軟弱だった」ことにも納得できるルックスと造形だ。何かに取り憑かれたように歌うシャンソンも良い声、巧みな節回しである。
永井愛作品には、標準語で話していた人物が出身地の言葉で話し出すことで本心を吐露する趣向が取り入れられているものがいくつかある。人物が生き生きと語るとき、標準語とのギャップに客席には笑いが起こり、必死で語るときには鎮まりかえる。ただ、地方出身の自分の実感として、標準語で話す場においては、同郷の人であっても方言で話すこと対してはスイッチの切り替えが必要であり、劇中の愛知言葉による猫談義等には違和感を覚えるのである。観劇の決定的な妨げにはならないが、どうしても気になる点だ。
ミチルが「君が代」のピアノ伴奏をするかどうかは最後になってもわからない。それを見つめる観客にも「どちらか決めよ」と迫るものではない。自分の心のありかを確と見極めること。もやもやしていてもよい。それが自分の心なのだから。そして他者の心をも受け止め、暴力的に妨げることをしない。互いの心を尊重し、違和感があるなら話し合う。合意に至らなくても実りはあるはずだ。
いつか永井愛に、このたびの元首相の国葬についての政府の対応や、それをめぐる国民の様相などを身近な人間ドラマとして描いていただけないだろうか。いささかありがちな設定だが、例えば、ある一家が国葬の献花に行くかどうかで大議論を繰り広げる。両親は60年安保闘争体験世代、息子は新聞社勤務でその妻は元首相の大ファン。行きたい、行かせないと揉めるうち、テレビからは献花の列は伸びるばかりの報道…などと物騒で、しかし心躍る妄想が沸きはじめている。
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