*第1回岸田理生アバンギャルドフェスティバル参加作品 岸田理生作 寂光根隅的父演出 公式サイトはこちら 8日まで こまばアゴラ劇場
顔だけ白塗りにして表情を消したような俳優たちは、濃いグレーの衣装をつけている。装置は箱がいくつかあるだけで、ほとんど裸舞台に近い。どこか見知らぬ国の人々という設定だろうか。挨拶を交わし、歯磨きをして体操、掃除をする。小道具なしで行う演技(無対象というのだろうか)は、動作が実に細かく、それが次第に高まってダンスのようにもなっていく。この人々が強い権力によって支配統治されているらしいことが感じられてくる。自分たちの言葉を奪われ、違う言葉を使うことを強要されているが、生き延びるために平静を装っている。そこに白い衣装を纏った女が現れて、ほんとうの「言葉」を話せるところへ人々をいざなう。
カンパニー初見、予備知識はまったくないに等しい。チラシや当日リーフレット掲載のアバンギャルド、パフォーマンス、政治性などの単語は、自分にとって全て苦手科目である。劇場にはいると俳優はすでに板付きであった。床に横たわったり、舞台を歩き回っている俳優もいる。いよいよ苦手な雰囲気だ…。
1時間少しの上演時間中、ふっと意識が遠のいて眠気を覚えるときもあった。しかし不思議なことに、いつのまにかしっかりと目を開いて前のめりになっていた。この舞台には、決して無理強いではない吸引力のようなものがあって、最後まで見届けることができたのである。どんなに舞台で俳優が大声を出していても眠くてどうしようもないものもある。起きていようと努力してもだめなのだ。そんなとき、自分はいい気持ちで眠ってはいない。ああ申しわけない、でも起きていられないと情けなく、もったいなくてたまらない。その辛さが今夜はまったくなかったのだ。
このカンパニーには自分たちの創作に対する強い意志がある。それは独りよがりな前衛や、自己陶酔気味の芸術ではなく、しかし決して観客に媚びない。わかりやすいものではないし、舞台の印象を的確に表現する難しさを今まさに味わっているのだが、貴重な演劇体験ができたことだけは確かである。ソラは日本語の「空」、ハヌルは韓国語、ランギットはマレー語でいずれも「空」を意味するとのこと。言葉はなぜあるのか、言葉を話すというのはどういうことなのか。小さな空間で味わったものが自分の中で次第に深く鋭くなっていく。
顔だけ白塗りにして表情を消したような俳優たちは、濃いグレーの衣装をつけている。装置は箱がいくつかあるだけで、ほとんど裸舞台に近い。どこか見知らぬ国の人々という設定だろうか。挨拶を交わし、歯磨きをして体操、掃除をする。小道具なしで行う演技(無対象というのだろうか)は、動作が実に細かく、それが次第に高まってダンスのようにもなっていく。この人々が強い権力によって支配統治されているらしいことが感じられてくる。自分たちの言葉を奪われ、違う言葉を使うことを強要されているが、生き延びるために平静を装っている。そこに白い衣装を纏った女が現れて、ほんとうの「言葉」を話せるところへ人々をいざなう。
カンパニー初見、予備知識はまったくないに等しい。チラシや当日リーフレット掲載のアバンギャルド、パフォーマンス、政治性などの単語は、自分にとって全て苦手科目である。劇場にはいると俳優はすでに板付きであった。床に横たわったり、舞台を歩き回っている俳優もいる。いよいよ苦手な雰囲気だ…。
1時間少しの上演時間中、ふっと意識が遠のいて眠気を覚えるときもあった。しかし不思議なことに、いつのまにかしっかりと目を開いて前のめりになっていた。この舞台には、決して無理強いではない吸引力のようなものがあって、最後まで見届けることができたのである。どんなに舞台で俳優が大声を出していても眠くてどうしようもないものもある。起きていようと努力してもだめなのだ。そんなとき、自分はいい気持ちで眠ってはいない。ああ申しわけない、でも起きていられないと情けなく、もったいなくてたまらない。その辛さが今夜はまったくなかったのだ。
このカンパニーには自分たちの創作に対する強い意志がある。それは独りよがりな前衛や、自己陶酔気味の芸術ではなく、しかし決して観客に媚びない。わかりやすいものではないし、舞台の印象を的確に表現する難しさを今まさに味わっているのだが、貴重な演劇体験ができたことだけは確かである。ソラは日本語の「空」、ハヌルは韓国語、ランギットはマレー語でいずれも「空」を意味するとのこと。言葉はなぜあるのか、言葉を話すというのはどういうことなのか。小さな空間で味わったものが自分の中で次第に深く鋭くなっていく。
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