*鈴木アツト作・演出 公式サイトはこちら せんがわ劇場 30日まで (1,2,3,4 5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18)
本作は第18回劇作家協会新人戯曲賞最終候補作になり、審査会前のプレヴュー・リーディングをみた。受賞は逃したものの、おそらく今回は劇作家鈴木アツト、劇団印象にとって、満を持して上演ではなかろうか。アフタートークも27日14時永井愛、28日14時松田正隆、29日17時坂手洋二と大変な顔ぶれだ。
37歳の砂子(小川萌子)は大企業でバリバリ働きながらジムやエステにも通い、美しい容姿を保つことにも金を惜しまない。しかし40歳が近づくにつれ、将来に不安を抱く。両親からのプレッシャーもあって見合い結婚をし、幸せな新婚生活がはじまるが、癌のために子宮の全摘出手術を受ける。子どもが産めなくなった砂子は、日本では認められていない代理出産という選択をする。
結婚するかしないか、子どもを産むか産まないか。極めて個人的なことでありながら、結婚難で少子化の現代、国や自治体までもが対策に乗り出す昨今である。
どうしても子どもを産みたいと願ったとき、自分とパートナーの子どもでなければならないか、精子はほかでもらってもよいのか、受精卵は自前でも、産むためのからだを貸してほしいのかなどなど、事情はさまざまで一筋縄ではゆかない。
生殖技術の進歩に法律がついてゆかず、さらに倫理面の問題もからんでくる。選択肢が増えたからといって、すべてが幸せに結びつくわけではない。
「どうしても子どもがほしい」と願う経済的に何不自由ない先進国の女性と、暮らしのために代理母をせざるを得ないインド人女性とという社会格差の図式があぶりだされる。その一方で、頭にきのこのようなかぶりものをつけた精子たちが射精されるのをおののきながら待っていたり、そのなかのひとつが卵子とくっついて仲よくおしゃべりをしたりなど、衣裳(西原梨恵)や振付(スズキ拓朗)も可愛らしい。「生殖」を扱ってはいるが表現はファンタジックであり、生々しい社会派ドラマの印象はない。
しかし出産が近づくにつれて、舞台は次第に重苦しくなる。代理母のナジマ(水谷圭見)は、金のために産むからだだけを貸すことを割り切れず、激しく苦悩する。待望の赤ちゃんを得て幸せいっぱいの砂子が終幕にふと見せるあの表情は、彼女にこれから訪れる新たな苦悩を予感させ、複雑で苦い印象を残す。
まったく予備知識なしにこの舞台をみたら、「書いたのは女性だ」と思うかもしれない。しかし当日リーフレットの挨拶文にあるように、作・演出の鈴木アツトは過去に父親が子どもを産んでしまう『父産』(とうさん1,2)という作品を上演している。女性だけが行う出産という行為への憧れなのか、身体的なタイムリミットを否応なくつきつけられる女性とは、少し違った視点で子どもを持つことについて考えているのかもしれず、このあたりは興味深い。
作品に直接関係ないことだが、本作には食事をする場面がいくつかあって、そこで女優さんが足を組むところが気になった。お茶やお酒を楽しむのであれば、ゆったりと足を組んでも構わないのだろうし、場所の設定が和室ではないのだからいいようなものなのだが、姉妹で焼き鳥を食べたり、家族ですき焼きなべを囲む場面で、パンツルックで足を組み、お茶碗と箸を持つという動作はしっくりしない。自然に組んだにしてはきれいに見えず、それとも演出がついたのだろうか。
「優秀新人戯曲集2013」(劇作家協会編/ブロンズ新社)に掲載された本作の戯曲をとてもおもしろく一気読みしたので、本番の舞台もさぞかし笑いがあ
ふれるかと予想したが、客席は思いのほか静かであった。妙なもので「おもしろい」と感じても、すぐに声を出して笑うという行為にはならないのである。周囲
に同じように声に出す人がいるかいないかを瞬時に察知して、いなければ声を出せない。動物的な勘というのか、「ひとりで笑うのは淋しい」という本能なのか。たまたま今日の客席が控えめだったのかもしれず、これから回を重ねるごとに客席の雰囲気が温まれば、もっと舞台も弾むことだろう。
ぜひそうなってほしい。
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