*岸田國士作 嶋田健太演出 公式サイトはこちら アトリエ乾電池 12月4日で終了 (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13)
今ごろになってⅡでございます。こちらも記憶をたどって何とか。
下北沢の東京乾電池に行くのは、小田急線が地下に入ってからははじめてである。以前はなかなか開かない踏切を渡って通りを長いこと歩いたが、この日は通りのいろいろなお店の様子を楽しみながら意外に早く到着した。満席の盛況だ。
舞台は戦前の仏領インドシナ(現ベトナム)にある「牛山ホテル」は、異国に出稼ぎに来た「からゆきさん」の駆け込み寺のようになっている。そうとうに作り込まれた舞台装置で、しかも劇中に場面転換が何度もあり、ホテルのロビー、二階の客室、宴会場らしきところなどを、この小さな劇場できっちりと写実につくっているのは立派である。登場人物のほとんどが強いなまりのある九州ことばを話す。意味がわからない台詞ややりとりも結構あるのだが、あまり気にならない。新劇風といってもよいほどオーソドックスなつくりのなかに、ロオラという外国人妻や、年配の人物の化粧やかつらなどがいかにもとってつけたようだったり、ところどころ力を入れたようで抜いているというか、いかにも乾電池らしいところがあっておもしろい。
「手だれ」という言い方がある。「手足」、あるいは「手練」と書き、技芸や武芸などに熟達していること、よく慣れて上手な手並みを指す。高く評価することばではあるのだが、使いようによっては巧すぎること、手慣れていることに対する嫌みな気持ちを感じさせるときもあって、注意が必要な表現だ。
今回の舞台をみて、舞台美術のつくりや俳優の演技から、この「手だれ」のマイナスイメージが感じられないことがもっとも強く印象に残った。それは意識して技術を前面に出さないことでもあり、稽古の段階で演出家も俳優も戯曲をよく読み込み、何が書かれているのか、それを的確に表現するにはどんな声、台詞の言い方、動作が必要なのかを試行錯誤し、吟味したことの証左であろう。
仮にこの作品を文学座や民藝が上演するとしたら、立派な舞台美術をつくり、俳優も若手から中堅、ベテランまで堅固で正統的な舞台を構築するであろう。そういう舞台もみたいけれども、東京乾電池の『牛山ホテル』はあまり気負わずして、いわゆる新劇系の正統派とはべつの方向性を探りながら、もしかすると戯曲の求めるものにより近い舞台をみせているのではないだろうか。
来年1月、東京乾電池は新宿ゴールデン街劇場において、岸田國士ふたり芝居を3本上演する。行かねば。
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