因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

第5回したまち演劇祭in台東 したまちばなしー物語が生まれるところー 『おとこのはなし』

2014-09-11 | 舞台

*オカモト國ヒコ作 第5回したまち演劇祭in台東の公式サイトはこちら 木馬亭 11日14時の回のみ 
 2012年にNHKのラジオドラマ「FMシアター」で放送された物語を、舞台でのひとり芝居として上演するもの。公式サイトには、「1時間ずーっと橋爪さんが聞いている貴方に向かって話しかけてくれるという(笑)夢のような作品です」と作者オカモトのコメントがあり、ほんとうにその通りである。あいにくの雨のなか、木馬亭の前には開場を待つ観客の長い列ができた。補助椅子も出る盛況である。

 舞台には背もたれがなく、緩やかな傾斜をもつベンチのようなものがあるだけで、橋爪功は台本を持って登場、およそ1時間強のひとり語りである。1941年9月生まれの73歳。まだまだ若いが、それでも心して舞台の立ち姿、肉声を目と耳に焼きつけておかなければならない俳優であろう。ラジオドラマがたいへんおもしろく、また昨年の芝居収めとなったシーラッハのリーディングがすばらしかったので、今回も喜び勇んで木馬亭に出かけて行った。

 『おとこのはなし』は、まさに題名のとおり、一人のおとこが一方的に話す物語である。ホームレスである彼はさきほど公園のテントで死んだばかり。つまり死人が自分の人生について語るのである。両親は戦争中満州にいたこと、自分は戦後再婚した夫と母親のあいだに生まれ、父親ちがいの兄がいたこと、中学卒業後集団就職で大阪に出て来たこと、料理人になったいきさつなどなどをひたすらにしゃべる。
 なかでもふるさとの長崎は五島列島に残してきた母親への思慕をしみじみと語るなかに、もうこの世の人ではない「おとこ」の悲しみを浮かび上がらせる。

 橋爪功の声はよく通り、せりふ回しも明晰で非常に聞きやすい。ただどうしてあそこまで動きまわるのだろう。幽霊状態の人間が通勤途中の人をつかまえて一方的に話すというつくりで、何かを動かしたり、作ったりという動作のない物語だ。なのでよけい橋爪さんがただぶらぶらとせわしなく動き回っているかのようにみえるのだ。しかも台本を持って動き回っている様子というのは、何と見づらいものであるか。

 朗読、語りもの、リーディングの場合、俳優は手に台本を持つことじたいが既に演出であり、演技の一部だ。したがって、台本を手に持ちながら敢えて立ち上がり、何らかの動作をする場合、本式の上演よりも意味を帯びてしまい、そのくせ演技がしにくくなってしまうのではないだろうか。
 演じる俳優にとって、「手」の置きどころは非常にむずかしいと聞いたことがある。今回の朗読で、台本を手に持って座ったままで読むことがむずかしかったのだろうか。この舞台には演出が不在で、そこにも問題がある。ラジオドラマならみられずに済むところを、舞台は何もかもさらけ出さなくてはならないのである。いくら語りの名手であっても、「どう聴かせるか」に加えて、「どうみせるか」を慎重に考える必要があるだろう。

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