因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

中津留章仁LOVERS VOL.4『黄色い叫び』

2011-07-28 | 舞台

*中津留章仁作・演出 公式サイトはこちら 新宿タイニイアリス 31日まで
 4月に初演の舞台が好評を博し、早々に再演の運びとなった。当日リーフレットに初演が「演劇評論家に太鼓判を押される」と記してあるように、3月11日の東日本大震災からわずか1か月後に、その災害に正面からぶつかった本作は小劇場界のみならず、多くの人々に衝撃を与え、称賛を浴び、見逃した人に「再演はぜひとも」との気持ちを掻き立てるものになったようである。

 実は初日に観劇したのである。もう1週間も経ってしまった。初演をみた夜は心が高揚し、前のめりになって記事を書いたのに、まるで宿題を先延ばしにしている子どものようにぐずぐずしていたのだ。

 10名の登場人物のうち初演から続けて出演する俳優は3名で、早々の再演を違う顔ぶれで作品の新たな面を引き出そうという意欲が感じられた。人物の関係に新しい設定が加えられていたり、台詞の増減もあるが、登場人物、物語の設定の大枠は初演と変わらない。テアトロ8月号に掲載の戯曲は初演版である。

 再演というのはむずかしいものだ。ましてあの大震災が題材になった作品である。4月に観劇したときは、繰り返し報道される被災地の惨状、福島第一原発事故による首都圏の混乱が生活実感のなかに生々しくあって、舞台から発せられるものがからだに直接ぶつかってくるような痛みや皮膚がざらつくような感覚があった。
 物語の設定は2011年の夏である。春にあって「今年の夏はどんなことになるのだろう」と、恐怖に近い不安を抱いていた身には、本作の放つエネルギーを受けとめるだけで精いっぱいだったのではないか。そして恐れていた夏が来た。被災地の復興はなかなか進まず、原発事故の収束の先は見えない。九州電力のやらせメール事件や、「稲わら」による食肉汚染など、天災と人災が複雑に絡み合い、政局は目を覆うばかりに混乱している。

 初演のときの未来が現在になっており、そして時々刻々状況は変化している。時の流れは容赦ない。そのなかで本作を再演するのは、単に初演が好評であり、見逃した多くの人の要望に応えるためだけではない、新しい視点、切り口が必要だと思う。付け加えられた台詞に、原子力保安院の広報担当者が更迭されたことや、なでしこジャパンのことなどがあって、初演以後のいまを反映させてはいるが、舞台を動かすために有機的な作用はしていない。また人物の設定や造形がひどく表面的に感じられ、台詞が粗かったり展開が雑にみえたり、初演ではあまり気にならなかったところで引っかかり、筆を鈍らせるのである。気にする余裕がこちらになかったこともあるし、「震災後1か月でこの作品を上演したのだ」ということに呑まれてしまったとも言える。

・・・これではやりかけの宿題である。もっとしっかりしようと思う。この作品のどこが素晴らしいのか、どこに問題があるのか。受けとめる側の問題も含め、もう少し考えたい。
 

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