*山田佳奈脚本・演出 公式サイトはこちら 下北沢小劇場B1 14日まで (1,2,3,4)
タイトルは「びびる」と読む。師走の下北沢で、劇団ロ字ックと山田佳奈が新作をかっとばした。快作である。
小劇場B1で行われる公演が全席自由席の場合、どこに座るかは毎回悩ましいことである。演技スペースを二方向からはさむ形なので、舞台のつくりや席による舞台の見え方などを、入場してすぐに判断しなければならない。自分は「こちらのお席もみやすいですよ」という誘導に従って、手前ではなく左奥の座席についた。
そこからみると舞台は縦長につくられていて、手前にアパートのリビングらしき空間があり、その奥にオフィスらしい空間がみえる。
山田佳奈の作劇の特徴として、複数の舞台空間をつくり、それらがときに同時進行したり、少しずつずれながら絡みあったりする。登場人物は異なる空間を行き来しながら、ひとつの物語を形成していくのである。これまで数回みた劇団ロ字ックの舞台は、いずれもサンモールスタジオであり、そのときは舞台手前にひとつ、そして2階をつくるようなかたちで、もうひとつの空間がある場合がほどんどであった。今度は舞台を横方向に使うらしい。
舞台がはじまってすぐ、自分の座席選択がまちがっていたのではという思いがよぎった。それは、客席に背を向けた俳優のせりふが急に聞こえなくなるためであった。開演前にスタッフから注意事項のアナウンスがあったとき、右手がわの客席に向かって話すスタッフの声が非常に小さく聞こえたので少し不安になったのだが、それが的中した。手前のアパートでの会話は無理なく聞こえる。しかし奥側のオフィスでのやりとりが、聞きとりづらい箇所が少なからずあった。ふたつの空間を左右に見渡せる位置ならば(劇場に入って右スペースの端あたりか?)、もっと臨場感や切迫感が近く感じられたかもしれない。
「小劇場」という名を持ちながら、この小屋は思ったより横に距離があるのだ。
主人公は自分の考えを口に出すことが苦手な白石マイ子(片桐はづき)である。職場は入浴剤を扱う会社の商品管理課で、マイ子以外は同僚も後輩も、上司ですらまともな社会人はゼロに等しく、マイ子はいつも割を食っている。マイ子には同棲している恋人の徹(川本ナオト)がいるのだが、彼の妹のマリ(榊菜津美)がずるずると居候しており、職場でもうちでも居心地が悪い。
出産で退職した先輩(堂本佳世)にかわって、新人の森谷マイ子(日高ボブ美)が入社し、マイ子の周辺が少しずつ変わってくる。
人物の性格や造形が少々極端なところもあるが、ありえない設定ではないと思う。みな一様に軽薄で仕事もろくにせず、相手に対する配慮や気づかいといった感覚が欠落している。言いたい放題の無責任。
現実に誰しも職場や家庭で小さな我慢を重ねている。話し合いによって環境の改善し、よりよい人間関係をつくるなどということがほとんど不可能に近い状況というのは、じゅうぶんにありうることである。
個々の人物の性格の描き分けが明確で、声や表情、ちょっとしたしぐさに至るまで、「これでもか」というほど嫌な空気を撒き散らす。劇作家・山田佳奈のペンは冴えわたり、「そこまで言うか」、「普通言うか」といった刺や毒のあることばをつぎつぎに放つ。また演じる俳優が劇作家の期待に応えて、自分の役どころを的確にとらえている。こんなに嫌な女の役を演じることに、傷つくのではないかと秘かに心配になるほどだ。
いつものロ字ック作品の笑いもぐっと影をひそめ、客席は異様なほどに静まって、舞台を凝視している。
現代の閉塞的な状況に生きる人々の様相を切り取った一種の社会劇としてとらえることもできるし、自意識過剰な主人公の「相手にはっきり言ってやりたい」という妄想がつくりあげた幻想劇とも言えよう。同じマイ子の名を持つ白石と森谷は、ひとりの女性の表と裏、心の奥底に眠る「もうひとりの私」かもしれない。
物語の流れや個々のやりとり、ふたつの空間の繋ぎ方などが実に絶妙で、舞台から目が離せない。はじめてロ字ックの舞台をみたときの「粗削り」や「むき出し」といった印象を思い起こすと、劇作家のペンが強靭で巧みになった。これはテクニック面が巧くなった、つまり技巧がよくなったということではなくて、自分の心の様相を舞台に映し出すことに、苦悩よりも幸福を覚えているからではないか・・・あ、いやこれは因幡屋の妄想かもしれない。
今回の『媚媺る、』は、完成形ではない。設定を変え、人物をずらしながら山田佳奈のなかでこれからもつづいていく物語ではないだろうか。ほとんど救いのない話なのに、終演後の気持ちが清々しいのは今後への期待のためである。白石マイ子にいつかまた会いたいと思う。
観劇後の心がまだふわふわしていて、ことばの選択や文章の構成が整っていないが、どうしても今夜のうちに書いてみたかった。「みたかった」というのはへんな言い方だが、ロ字ックの舞台に「してやられた」のだろう。「ああ、ちゃんと書けないよー」と情けないのに、何だか嬉しいのである。
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