*公式サイトはこちら 下北沢「劇小劇場」 10日と11日
この企画は、日本演出家協会が主宰による全8回の研修セミナーである。戯曲に触れ、劇作家について知り、過去に上演された舞台の映像をみて議論をし、さらに戯曲を深く読みこむ。そして本公演は、2月初旬からはじまったプログラムの締めくくりのドラマリーディングで、両日ともシンポジウムが開催されるという実に贅沢なものだ。
演目は『薔薇』、『記念』、『生れた土地』の3本で、出演者はいずれも上記のセミナーに参加し、リーディング公演に向けての研修を重ねてこられた。
演出は『薔薇』と『記念』をshelfの矢野靖人(1,2,3,4,5,6,7,8)、『生れた土地』が青年座の須藤黄英である。セミナーから本公演までの詳細、出演俳優の紹介など、矢野靖人のブログに非常に詳しく、心のこもった筆致で記されている。こちらもぜひ。
筆者は矢野が芸術監督と総合プロデューサーをつとめ、みずからも演出をした「横濱リーディング」(1,2,3,4,5,6,7,8)に強い刺激を受けた。この経験がベースになって、その後の「リーディング」や「朗読」、「戯曲」に対する興味と意欲につながっているという確信があり、今回の「森本薫を読む!」に大いなる期待をもって劇場に向かった。11日の千秋楽、シンポジウムのゲストは演劇評論家の大笹吉雄氏である。
*『薔薇』
1936年(昭和11年)に発表。
大谷賢治郎、春日茉衣、川渕優子、小林拓生が出演。
*『記念』
1938年(昭和13年)発表。
出演は10日が青井陽治&川渕優子、11日が千賀ゆう子&林英樹のダブルキャスト
*『生れた土地』
1941年(昭和16年)発表。
秋葉舞滝子、沢柳迪子、林英樹、由布木一平が出演。
舞台には出演俳優が掛ける椅子があるのみで、照明や音響も最小限にとどめられている。1本めの『薔薇』は、開演まぎわ、演出家が客席に挨拶をしているときに出演者がひとりふたりとゆっくり登場したり、リーディング途中で出演者が立ち上がって壁にもたれたり、ガウンを着て床に座ったりなど、観客をリーディングへ導く意図や、人物の出入り、相関関係などを示しているが、これもやはり非常に控えめである。
俳優の発する台詞を耳で聴き、そこから想像するというリーディングは、舞台をみているというよりは、「戯曲」に触れている、劇作家の生んだ「台詞」、「ことば」に直接向き合う体験である。これは昨今のリーディング公演にときおりみられる突拍子もない演出によくも悪くも慣れてしまいそうになっている身にとって、予想以上の緊張をもたらすものであった。
『薔薇』は、過去と現在が交錯しつつ、ふた組の男女の関係が壊れてゆくさまを描いた斬新なものであり、『記念』は16年ぶりに再会した男女が、列車が出発するまでの短い時間に交わす含みをもったやりとりがおもしろい。
『生れた土地』は端正な家族劇のスタイルをとりながら、ずっと続いている日中戦争の影や、本作発表の3カ月後に太平洋戦争が勃発することを客席に想起させ、複雑な味わいを残す。
3本ともラジオドラマとして執筆されたものというのも本公演の特徴である。
上演後のシンポジウムでは、大笹吉雄氏のお話が今回のリーディングそのものについて、あるいはリーディングの印象をベースに展開するものではなかったものの、森本薫が長谷川伸の『瞼の母』や歌舞伎の『熊谷陣屋』など、大衆演劇や伝統芸能など幅広く知っており、それらを現代劇のなかで活かそうとしていたことや、森本の脚色した『富島松五郎伝』がやがて『無法松の一生』になり、氷川きよしや坂本冬美の歌う演歌の世界に生きつづけていることなど、大衆性や普遍性を備えた劇作家であることや、岸田國士、久保田万太郎の作品から受けた影響など、果ては杉村春子との恋愛の真相など、身を乗り出すようなおもしろさであった。
舞台の演出家としてはあともうひと息、自分の主張や俳優の個性などを出し、研修セミナーのお披露目や発表会という閉じられたものから一歩踏み出し、舞台作品として多くの観客に楽しめるものを目指したいという希望もあったのではないか。
たしかに終演後に思わず筆者の口をついて出たことばは「勉強になりました」であり、これには長短あるだろう。
しかし今夜のリーディングとシンポジウムがこれまでとこれからの演劇体験、自分の演劇歴にとって大事な機会となったことは確かである。森本薫の、とくに初期の作品の上演を切に望みながら、さあと気合いを入れて評論や戯曲(じつは本棚にしまいこんだままのものが何冊かある)に向き合い、心と頭を働かせようと決めたのであった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます