因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

帝劇ミュージカル『エリザベート』

2015-07-08 | 舞台

*ミヒャエル・クンツェ脚本・作詞 シルヴェスター・リーヴァイ音楽・編曲 小池修一郎演出・訳詞 公式サイトはこちら 帝国劇場 8月26日まで
 つくづく、好き過ぎるということには長短あるものだ。本作2000年夏の初演は、新劇系の俳優として本格的にミュージカルデヴューとなった内野聖陽が黄泉の国の帝王トートを演じることが観劇前の関心のすべてであったが、いたしかたないとはいえ、難曲めじろおしのト―トはいかにもハードルが高かった。そして予備情報のまったくなかった皇太子ルドルフ役でデビューした当時現役の東京芸大声楽科の学生であった井上芳雄の歌声に魂を抜かれてしまったのである。これが自分の帝劇初演『エリザベート』観劇のすべてであった。
 以来何度も再演を重ねているにもかかわらず、いっこうに足が向かなかったのはおそらく井上芳雄の印象があまりにすばらしかったために満足してしまい、ほかの人物、演じる俳優、作品そのものに対する探究心が生れなかったのだ。

 この夏で10回めの上演を重ねる『エリザベート』では、あの井上芳雄が何とトート役を演じるという。繊細で痛々しい皇太子ルドルフ、妖艶で不気味な死神のトート。イメージがちがいすぎることへの懸念が大きかったが、それよりも井上の美しいテノールが、ときにふてぶてしいまでの貫録で堂々と歌い上げるトートの歌をどのように聞かせるのかを知りたい。その気持ちが募った。

 そして観劇本番。井上芳雄のトートがどのようであったかを書いていくと終わらないので、『エリザベート』との15年ぶりの再会というよりも、新生『エリザベート』体験として考えたい。

 非常に単純な言い方をすると、自分はまるではじめてこの作品に出会ったように新鮮で清々しい心持ちであった。15年前は井上芳雄しか聴いていなかったわけで、本作がどのような作品であるのかをはじめ、あまりに知らなさすぎたことを痛感させられた。
 92年にドイツで初演され、日本ではまず96年に宝塚版がお目見得、そして2000年に帝劇版が登場した。小池修一郎は宝塚版から帝劇版まで演出を担っており、作品の魅力、特徴、演じる俳優の個性等々すべてに精通し、上演のたびに新しい試みを重ね、挑戦しつづけている。
 宝塚版で当時22歳の若さでエリザベートを演じた花總まりは、「エリザベートのレジェンド」と言われており、ダブルキャストの蘭乃はなはエリザベート役で宝塚を卒業し、その後の初仕事が帝劇での本作というから、『エリザベート』が生む「縁」の不思議に驚く。
 初演で高嶋政宏が堂々と演じた暗殺者ルキーノを、昨年『モーツァルト!』の主役を井上芳雄と分け合った山崎育三郎、さらに歌舞伎俳優の尾上松也が、皇太子ルドルフは前回2012年から続投の古川雄大と、今回が初役の京本大我がそれぞれダブルキャストで演じる。手堅く守るところと大胆な挑戦を受けとめ、ますます味わいを増すのが『エリザベート』の魅力であることがわかる。

 生き生きと奔放な魂をもった少女が、やや難しい家に嫁いだために苦労を重ね、それでも自分らしくありたいと懸命に生きるさまは、まさに一代記、いわばハプスブルク版「女の一生」である。そこに黄泉の国の帝王トートを絡ませ、彼の求愛を拒みながら最後は死によって結ばれる物語であることが本作最大の特徴であり、魅力である。評伝劇に架空の人物を登場させる方法は珍しくないが、波乱に富んだひとりの女性の生涯に、目にはみえない何かが深くかかわり、導いたことを想像し、トートという存在に結晶させた作り手の発想に今さらながら魅了されるのである。

 繰りかえすが、まるではじめて『エリザベート』をみたかのように新鮮な喜びに満たされている。幸福感に浸ると同時に、この15年間何をしていたのかという悔いもあり、15年ぶりに足を運んだのはやはり井上芳雄以外に理由がなかったわけで、いやはや・・・。

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