因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

リオフェス2015『恋 其の参』

2015-07-10 | 舞台

*第9回岸田理生アバンギャルドフェスティバル リオフェス2015参加作品
ユニットR『恋 其之壱』(6/28終了)、吉野翼企画『恋 其之弐』(7/5終了)につづいて、テラ・アーツ・ファクトリー『恋 其之参』を上演する(林英樹構成・演出 ギャラリー絵空箱 7/12まで)。
 それぞれのユニットのサイトや当日リーフレット掲載の寄稿を読むと、劇作家岸田理生その人への深い思慕と、作品を作り上げる強い意志が伝わってくる。岸田理生の作品をもっと現代の観客に知らしめたいという意欲はもちろんのこと、岸田作品の未知なる地平へたどり着きたいという創造者としてのあくなき挑戦の心意気に満ち、いわゆる「追悼公演」にありがちなウェットな空気はない。岸田理生はいまも新しく、劇世界は生きている。この感覚がリオフェス2015の心映えではなかろうか。

 自分の岸田理生についての経験は少ない。舞台はおそらく『身毒丸』(蜷川幸雄演出、藤原竜也主演)、『大正四谷怪談』(栗田芳宏演出 藤原竜也主演)だけである。記憶をたどれば映画『さらば箱舟』、『1999年の夏休み』、テレビドラマ『張込み』、『華岡青洲の妻』(久世光彦演出 これには確かな記憶あり)であろうか。いずれも関心の方向は主演俳優や演出家であり、劇作家岸田理生をきちんと認識した上での観劇、視聴ではなかった。

 むかし吉原に次ぐ遊郭があった洲崎。70年代のいまは団地が立ち並び、多くの家族が暮らしを営む。ある夜、団地の公園で強姦事件が起こった。くちさがない団地の主婦たちがこの事件に飛びつき、あることないこと好き放題に言い散らかす。ひとりだけ夫がケニアに単身赴任の主婦がおり、彼女たちはこの主婦をいじめの標的にし、噂の種を蒔く。対して夫たちは毎日の仕事に消耗し、結婚生活にも倦んで互いに愚痴をこぼしあう。強姦の犯人はまだ捕まっていない。事件が起こったとき、妻たち、夫たちはどこで何をしていたのか。
 事件の顛末を追うサスペンスのなかで次第に明かされていくそれぞれの家庭が抱える厄介な事情は、数十年後の現代でも変わらない。どころかますます深刻で病的になっているのではないか。ある夫には白痴(この表現はいまならタブーだろう)の弟、またある夫には色情狂の姉がいる。事情があってしばらくのあいだ家に引き取りたいと妻に申し出るが、受け入れるはずがない。妻たちには自分が辛いからというより、周囲に知られたくない、恥だという意識が濃厚で、いつも仲良くおしゃべりしているようで、裏に回ればその場にいない人間の悪口を言い合い、何かあれば仲間はずれの標的にする。

 少し調べてみると・・・洲崎(いまの江東区東陽一丁目)は明治の半ばに根津遊郭が移転して吉原と並ぶ大歓楽街を形成する。第二次大戦中は激しい空襲に遭いながらも、戦後は「洲崎パラダイス」として大いに繁栄、昭和33年(1958年)の売春防止法によって幕を閉じ、静かな住宅街となった・・・。

 新宿の歌舞伎町や渋谷のセンター街ではなく、洲崎に舞台が設定されている劇作家の意図と演劇的効果が、本作の色調、空気感を形成するものである。しかし同時にこの国のどこにでも事件の芽があり、それに伴う人間関係のねじれや破綻があることを思わせる。限定的でありながら普遍にみちびかれることの不思議である。

 ママ友というコミュニティのむずかしさはさまざまなメディアで報道されており、つい数日前は子どものいじめをやめてほしいと訴えた母親が、ママ友たちの反発といじめにあって自殺したという事件を目にした。舞台には子どもは登場せず、LINEなどのSNSも出てこないだけで、70年代から現在の世相が炙りだされるさまは不気味な半面、小気味良くもあることに気づいた。

 このゆがんだ爽快感はどこから来るのか。

 理由のひとつは前述したうように、「いま、岸田理生をつくる」という作り手の情熱であろう。もうひとつはこれまでほとんど知ることのなかった一人の劇作家とようやく出会えた喜びにほかならない。しかしさらに自分自身に内在する何かがあることも確かで、これを探ることが今後の課題であろう。見のがした舞台を悔やんでも悔やみきれず、不勉強に恥じ入るばかりだが、今夜を岸田理生との出会いと定めて、できることからはじめたい。

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