因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座公演『女の一生』

2015-03-06 | 舞台

*森本薫作 戌井市郎による補訂・演出 鵜山仁演出 公式サイトはこちら 三越劇場 18日まで
 今年1月に早稲田大学で催されたプレ・イベントの盛況ぶりに、本作に対する観客の関心と期待の高さが改めて感じられた。何度もみた舞台、よく知っている物語、覚えている台詞なのに、劇場に向かうときのうきうきする心持ち、見終わったあとのすがすがしさはなぜだろう。

 主役の布引けいを演じる平淑恵は、よるべのない孤児として堤家の居間に迷い込む冒頭は、栄治や伸太郎ならずとも、「何とか助けてやりたい」と身を乗り出したくなる。堤家に下働きとして雇われて、生き生きと立ち働くつぎの場では、「こんなに明るく可愛らしい娘だったのか」と驚嘆するほどで、「このうちに来てよかった」と安堵する。けいの身の上に同情し、救われたことを喜ぶ。観客がけいに対して素直な心もちになれるのが前半の2場である。それが自分を助けてくれた堤しずへの恩義のために、思いを寄せていた栄治への恋を断ち切って、その兄伸太郎の妻になって数年後のつぎの場では、まるで別人のように落ち着き払い、自信たっぷりの堂々たる女主人になっているのである。
 このギャップ。娘むすめしたところがほんの少しでも残って入れば、観客はまだけいに寄り添えそうなものだが、商売気のない夫のことはとうに諦めて脇に置き、夫よりも伯父の章介を頼りにし、というよりほとんど対等な口のきき方をしている。のみならず、義妹の縁談にまで采配を振るい、家じゅうのものを従えている。

 結婚した瞬間からこうなったわけではなく、この人にも初々しい新妻時代があったはずで、まだ存命だったであろう姑にいっそう厳しく鍛えられた時期や、夫になってしまった伸太郎と、どんな新婚生活だったのか、栄治はいつごろ家出したのか、これまでけいを使用人としてみていた義妹たちの態度はどのように変わっていったのか・・・などなど疑問や興味があふれるように湧いてくるのである。観客が「知りたい」と思うこと、「どうしてだ?!」と激しく問いかけたくなることをすべてすっとばして、けいは有無を言わさぬ貫禄で堤家の中心にどっしりと座っている。
 こういったことが『女の一生』の欠点(敢えてそう表現する)であり、同時に魅力でもあるのではないか。

 配役は主演の平淑恵のほかは上演のたびに少しずつ変わっており、今回心惹かれたのは、長男伸太郎を演じた大滝寛である。次男栄治を何度も演じてきた俳優が、性質も立場も正反対の伸太郎を演じるのはめずらしいのではなかろうか。明るい笑顔がいかにもやんちゃなな次男坊らしく、のびのびした気風をみせていた大滝が、一転、学者肌で物静かな伸太郎を演じる。商売は妻に任せきり、頼りにならず煮え切らない。自分が妻に好かれていないことを認めようとせず、「おまえには女になくてはならないものが欠けている」という言い方をする。栄治に比べると損な役回りである。造形も複雑でむずかしいと想像する。
 大滝は表情をあまり変えることなく、終始淡々と演じた。伸太郎はうっかりすると陰湿で僻みっぽく、未練がましい男になってしまう可能性があり、そういうところもたしかにある人なのだが、栄治とはちがう、この人にしかない魅力、人柄をみたいと思うのも観客の願いなのである。

 戦争が激しくなる終盤、長らく別居していた伸太郎が久しぶりに堤家にやってきて、けいと語らう。けいは心から喜んで、「お帰りなさいませ」と伸太郎を迎え入れ、いそいそと座布団をすすめる。娘一家のことを快く引き受けて、夫に豆まきを頼む。伸太郎も穏やかで優しく、ふたりは長年寄り添った仲睦まじい老夫婦そのものだ。ふと、過去の場面を思い出す。けいがはじめて堤家に迷い込んできたとき、栄治は母に贈るかんざしを盗んだといってがんがん怒るが、伸太郎はけいに乱暴な口のきき方はしなかった。またつぎの場で、けいに中国の文化への畏敬を語る伸太郎はとても優しく、けいもまた興味と尊敬をもって彼の話に聞き入っている。夫婦にさせられたばかりに互いに溝が生まれてしまったのか、しかし栄治といっしょになったとしたら、また別の問題が起こったかもしれない・・・などと、ここでもやはりさまざまなことを想像させるのである。

 相手に悪意をもつ人など、誰もいなかった。みな家のため、子どもたちの将来のためよかれと思ってしたことなのだ。そして、舞台で描かれていない、数えきれない出来事ののち、けいと伸太郎がおだやかに語り合える老夫婦として目の前にいることを、胸が締めつけられるように痛ましく思うのである。

 『女の一生』は、自分にとってますます大切な作品となった。いつからこんな気持ちになったのかを振り返ると、主役のけいが杉村春子から平淑恵にバトンタッチされてからであろう。この人以外に演じる人はいないほど演じ込まれた役に、果敢に取り組む俳優のすがたに心を打たれたためだ。そして関わる人たちをここまで必死にさせる『女の一生』とは何なのか、繰りかえし戯曲を読み、考えるようになった。作り手、受け手のりょうほうを魅了してやまない作品、呼び寄せる作品なのだ。これまでも、そしてこれからもそうであってほしい。さらに新しい世代へと受け継がれていきますように。わたしもがんばって見つづける。そう決意させられるのである。

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